55歳からのハローライフ

 55歳で立ち止まって考えること

 

大学3年の時、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞を受賞して、校内の生協書店売場にその本が積み上げられていました。所属していたゼミでも話題になり教授も含めて討論したことを思い出します。経済・経営を学ぶ学生たちが、なぜ「文学」という異なるジャンルに興味を示したかというと、著者がほぼ同世代だったことも関係して当時としては若者にとってセンセーショナルなものだったと記憶しています。私も含め「文学」もろくにわからない学生たちでしたが、批判的な討論で終始して、最後は教授が「討論するに値せず」として結んだことを覚えています。

あれから37年、最近ではテレビの司会者として出演され、番組を視聴する中であの当時のイメージは少しづつ変わってきていました。                      今回、NHKの「55歳からのハローライフ」をカミサンと観て、村上龍もこうした内容の小説を書くのかとあらためて思いました。

自分自身も通過してきた55歳という年齢は、大げさな言い方ですが、今まで過ごしてきた過去を振り返り、又、これから先の生き方を考えるちょうど節目の歳ではないかと思います。私もこの歳で立ち止まりました。そして2年後、早期退職を選択しました。
立ち止まって考える時、何を考えるか? 人それぞれだと思いますが、ある程度共通したものではないでしょうか。それは「定年退職を目の前にして」という自分自身と家庭に関わる大きな問いかけではないかと思います。                                     私はこの本を読んでいません。又、番組も1、2話しか観ていません。多くの中高年の方がこの本を読んだり、番組を観たりして何を考えるか。今までと、そしてこれから先の自分と家庭のことを考えなさいという投げかけではないかと感じました。

1、2話では、私もカミサンもうなずきながら観ました。私たちは結婚以来夫婦共働きでしたが、まだまだ一般的には夫は仕事、妻は家庭という社会的構図は続いています。大事なことはお互いの立場を認め合い、尊重するということだと思います。そしてなによりもコミュニケーションを図っていくことではないでしょうか。仮に、物語の夫のような方が職場で管理職についているとしたら、はたして「いい仕事をしていたか」と問われればノーだと思います。そういう考えの人は、職場においても上司として部下に慕われる人間ではなかったと思います。仕事も家庭も考え方は同じだと思います。

「こども」を漢字で書くと「子供」という字を書きます。以前、カミサンに「子供」は「子ども」と書くように指摘されました。理由は、子は親の供ではないということです。一人の人間として尊重すべきだということです。                                 妻もひとりの女性としての生き方があることを尊重しなければならないと思います。
そういうことをわからずに過ごしてきた夫は、この55歳という節目で立ち止まり、考えを改めなさいということではないでしょうか。                       55歳では遅すぎるという感はありますが・・・。

3作目以降のドラマを楽しみにしています。村上龍もなかなかやるじゃないか!

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