日本百名山
大菩薩嶺が大菩薩岳に変わった?
4月24日(金)に今年最初の登山クラブメンバー6人と大菩薩岳に行ってきました。
先日までの春の嵐はどこへやら、打って変わって晴天に恵まれメンバーの運の強さに脱帽です。退職後、時間がたっぷりあるオヤジにとっては、晴れの日しか山に行かないという特権を最大限利用してきました。
しかし、仲間たちと行く場合、どうしても日程の変更は難しいものです。そこでテルテル坊主を作ってお願いしてもいいのですが、さすがにそこまでは・・・。あとは天に祈り、メンバーの運に頼るしかありません。
そのかいあって、春のうららかな日和の中、仲間と共に登山を楽しんできました。
大菩薩峠の親不知ノ頭からの稜線
深田久弥著「日本百名山・大菩薩岳」と昭文社「山と高原地図」大菩薩嶺
日本百名山の著者深田久弥氏は「大菩薩岳」と記してします。しかし、一般の地図やガイドブック、登山専門誌では「大菩薩嶺」(だいぼさつれい)になっています。私たちハイカーの中でも多分ほとんどは「だいぼさつれい」と言っているのではないでしょうか。
どっちでもいいんじゃないの?といえばそうですが、ちょっと気になるので調べてみました。
高辻謙輔著「日本百名山と深田久弥」白山書房より
日本百名山の大きな変更では、項目の七十番目の山である大菩薩嶺が大菩薩岳に変わったことがよく知られている。大菩薩付近の山々に精通し、研究もしていた武田久吉博士が、大菩薩岳と称して嶺を使用することの誤りを何度か書いていた。これを記憶していた望月達夫(昭和期の登山家)が「大菩薩岳とあるべき山に大菩薩嶺と官行の地図にあるため、誰も彼も嶺に行こうといって出かけて行く。この字は大菩薩峠とある所に記すべきであった。嶺は峠を意味する漢字なのである」と書いてあることを深田久弥に書き送ったところ、折り返し葉書をもらったという。
昭和44年○月26日付けの葉書の文面には「大菩薩岳、ご忠告ありがとう。次の版で訂正します」とあり、その後大菩薩岳と改められた。
おそらく昭和45年か46年の版で大菩薩岳となったのではないだろうか。
ハイカーにとっては、特に気になるものではありませんが、調べたところ上記のような理由で変更されたようです。一応知っておいてもいいのではないかと思い記してみました。
上日川峠の登山口からスタート。春の穏やかなハイキング日和
途中の福ちゃん荘と大菩薩峠
稜線からの望む富士山と大菩薩湖(上日川ダム湖)
親不知ノ頭から望む甲府方面と奥多摩の山並み
賽ノ河原でランチタイム
雷岩でコーヒータイム。大菩薩岳頂上まで行きましたが、写真不良のためアップできず残念!頂上は樹林帯に囲まれ眺望はイマイチ。標識がなければ通過してしまいそうです。
雷岩から唐松尾根を下って下山しました。
ということで、私にとっては3回目の大菩薩岳でした。今までで一番の天候に恵まれ仲間たちと楽しいハイキング登山ができました。帰りは日帰り入浴温泉の「大菩薩の湯」に入り、次はどの山に行こうかというオシャベリをしながら塩山を後にしました。
詳しい地図とコースタイムはヤマレコに記録しました。興味のある方はこちらをどうぞ。