尾瀬ヶ原とアヤメ平
湿原に敷かれた草紅葉の絨毯!?
昨日の曇り空から翌朝は晴れ間が覗く天候に回復。
早朝5時起床。思っていたほどの冷え込みはなくすがすがしさが感じられました。
早朝、山小屋のテラスで尾瀬ヶ原を眺めながらのコーヒーは至極の時間でした。
宿泊した弥四郎小屋からほんの数分歩き出すだけで草紅葉が出迎えてくれました。
まさに敷き詰められた絨毯です!
振り返れば昨日登った燧ケ岳の雄姿が!
前方には至仏山がその姿を現しました!
尾瀬ヶ原の真っただ中に佇めば日本百名山の燧ケ岳と至仏山の二座が同時に望むことができます。
燧・至仏山の両山の魅力はアルプスとは別の次元にある。それは尾瀬ヶ原の存在に負うところが大きい。
この尾瀬ヶ原は・・・、成り立ちも性質もまったく異なる両山をひとつに結び、独特の一体感を醸し出している触媒のような存在だ。
両山頂間の距離は11.5km。南アルプスなら北岳と塩見岳の距離にほぼ等しい。この距離はけっこう遠い。
それなのに二山ペアのイメージがあるのは、尾瀬を介することでひとつに括れてしまえるからだ。
主役はあくまでも「尾瀬」なのかもしれない。
樋口一郎著「新釈日本百名山」
竜宮十字路で我々登山仲間たちのもう一つのグループ(4人)と合流。
彼らは前日東電小屋に宿泊。お互い異なる行程プランでしたが、同じようにアヤメ平を目指すということから偶然?出会うことができました。
オヤジ10人の大パーティが結成されまずは富士見峠へ。
富士見田代から望む燧ケ岳
アヤメ平
アヤメ平の池塘と燧ケ岳
富士見峠の近くのアヤメ平から、広い原の向こうの果てに、遮るものもなく燧ケ岳の全容を望んだ時は、天下一品という気がした。おそらく燧の示す最も美しい姿だろ。
それは純正なピラミッドであった。同じピラミッドでも底辺が長いので、余計立派に見えた。
深田久弥著「日本百名山:燧ケ岳」
アヤメ平の池塘と至仏山
日本百名山が初刊されたのが1964年。
深田氏が登山家として、又、執筆家として活動されていたのはそれ以前の1940~50年代です。
その頃に執筆された「山頂山麓」「わが山山」「わが愛する山々」などの山岳紀行がもとになったと言われています。
とすれば、今からおよそ70~80年前ということになります。
気の遠くなるような長い時を経ても多分このアヤメ平からの景色や展望は当時のままだったのではないかと。
そう思うと、”自然を後世に残す” ことがいかに大切なことかを改めて感じるものがあります。
尾瀬に景観的な価値を見出さない時代は明治以降も続き、ために尾瀬ヶ原全体をダム湖に沈める計画もあった。
当時の人の感覚からすれば、荒れ地に開発を進めたとしても、なんら痛痒を感じなかったはずだ。
現に上越国境に位置する野反湖は、もともとは池もあるような湿原であったのを、戦後の年も浅いころにダム湖にしたのがいまの姿だ。
尾瀬ヶ原は注目されはじめたのが早かったためか開発を免れた。その後にニッポン社会全体の審美観が変わり、不毛の地は、自然の多様性と美しさを見せつけてくれる一大フィールドとなった。
人々は尾瀬に癒され、尾瀬を楽しむ。時代とともに山の好みが変わったのである。
樋口一郎著「新釈日本百名山」
アヤメ平からは、武尊山、赤城山、皇海山、会津駒ケ岳、平ケ岳など上信越の名だたる百名山を眺望することができました。
こうした素晴らしい景観をいつまでも後世に残しておきたいものです。
尾瀬に訪れる人たちは、日本百名山の燧・至仏を目指す登山者よりも、尾瀬トレッキングを楽しむハイカーの方が圧倒的に多いと思います。
山に登らなくても尾瀬ヶ原や尾瀬沼などをハイキングするだけで十分満足できる所ではないでしょうか。
尾瀬ヶ原を散策すれば燧や至仏が目に入り、今度来る時は登ってみようかという気持ちになるのかもしれません。
燧・至仏の両山は人気の点において、百名山の上位に位置するのではないかと思う。
この人気の占める大きな部分は、やはり「尾瀬にある」からではないだろうか。
まことに尾瀬とは、ニッポンの山岳地帯にあって格別のエリアである。それ自体が山ではない。
しかし、例えば尾瀬ヶ原単独でも、中堅どころの百名山など及びもつかない存在感、人気を示す。
これほどの存在はニッポンの他の山では類を見ないだろう。
樋口一郎著「新釈日本百名山」
地域共通クーポン!
お昼頃、鳩待峠に着いた私たちはシャトルバスにて片品村へ下山。
このシャトルバスの発着所がある第一駐車場は平日でも満車状態でした。コロナ禍の自粛の中、社会は少しづつ動き出している姿が見られました。
二日前に宿泊した宿に立ち寄り入浴させてもらいました。
温泉で一汗流せば腹が減る~。
ということで、地元のおそば屋さんへ。
この時、GOTOキャンペーンの「地域共通クーポン」を使いました。
JTBで予約した尾瀬の「弥四郎小屋」宿泊料金が通常で9900円。この金額に対して15%分(1500円)のクーポン券が発行されました。
このクーポン券は宿泊した日を含め2日間の有効期限。
その地域の飲食店やお土産物屋さんなどで使うことができるようです。
ランチに片品村のおそば屋さんで天ぷらそばを注文。
出てきた天ぷらの量に驚きました。舞茸、なす、春菊、かぼちゃ・・・、それも一つ一つが大きいのでお皿から溢れるほどの量でした!
腹が減ったオヤジたちでしたが、さすがにこのボリュームには驚きましたね(笑)
初秋の尾瀬、樹木の紅葉はまだ始まっていませんでしたが、一面草紅葉に埋まる尾瀬ヶ原の絶景は深く思い出に残る山旅でした。
12月に登山仲間たちとの忘年登山と懇親会の約束をして尾瀬を後にしました。
「尾瀬・燧ケ岳」 おわり
懐かしい写真を拝見いたしました。尾瀬に行かれたのですね。良いですね~。
大好きなところです。
あまり他のハイカーが見られませんので大渋滞でなかったのでしょうか。
私が最後に尾瀬に行ったのは多分、16年くらい前のことです。びっくりするくらい多くの人と
出会いました。
姉と姉のお友達の車で確か、福島の御池から入ったと思います。(マイカーは途中の駐車場に置
いてだったと思います。)
尾瀬の楽しみは四季折々の草花だけでなく、川や池の中でゆっくり泳いでいる鱒やイモリ(お腹
の赤い子です)や鳥たちの鳴き声、滝の音、それから燧ヶ岳、至仏山登山がありましたね。
私は残念ながらどちらにも登っていません。
私も20代の頃は(かなり前のことです)尾瀬にはまって、年に3回くらい行っていました。
初めに行ったルートは今回すーさんと同じでした。結構きつかったので、以後、鳩待峠からか
御池から入りました。当時はマイカーで入れました。
今は山小屋にお風呂はないのでしょうか。
当時はお風呂付でしたので大汗かいてもお風呂に入ってすっきりしました。
ハイカーが増えると無理かもしれませんね。
それにしましても、すーさんはお元気ですね。何よりです😊
Roseさん
Roseさんも若い頃に何度も行かれたんですね。
関東からも近いということもあって、日帰りや1泊2日位の行程で気軽に行けますよね。
山に登らなくても広い湿原のハイキングは心を癒されるものがあります。
今回は初秋ということもあって花を観ることができませんでした。
6~7月にかけてはミズバショウやイワカガミ、シラネアオイ、そしてニッコウキスゲなど観られ素晴らしい湿原ですよね。
今回はやはり草紅葉が圧巻でした。季節をかえて楽しむことができます。
私たちは見晴の「弥四郎小屋」に泊まりました。
この小屋にはお風呂がありましたよ。燧ケ岳下山後すぐに入浴させてもらいました。
一般的に山小屋はお風呂がありませんが、尾瀬の山小屋にはあるんですね。ありがたいことです。
これからもこうした素晴らしい景観や自然を守っていくためには、マイカー規制をはじめ散策路の整備や管理が必要だと思います。
現在、東電が継続して木道などの整備を行っているようです。今年の刻印(2020)がされた新しい木道とゴム敷木道がありました。
こうした尽力が尾瀬の自然を守っているんですね。
コメントありがとうございました。