梅雨明け猛暑の中、東北へ・・・
登り10時間の避難小屋泊り
日本百名山の東日本エリアでは、東北の朝日岳と飯豊山の2座を残しています。
コロナ感染が拡大する中、地方への登山は自粛していましたが、やはりどうしてもこの2座だけは登ってみたいと思っていました。
8月上旬ようやく梅雨明けしました。
コロナ禍でのお盆休みの移動は多少自粛されるかもしれませんが、長期休暇では地方への移動はそれなりにあると思います。
そんな状況を予測し少しでも混雑を避けたいことから、梅雨明け後真っ先に東北を目指しました。
山形県にある朝日岳登山は、昨年7月上旬に麓近くまで行ったにも関わらず天候不順により断念した経緯があります。
そして今回2度目のチャレンジということで、古寺鉱泉登山口を目指しました。
しかし、7月末頃山形県を中心とした大雨の影響で道路が通行止めの状態でした。山間部の道路は平地に比べそのダメージは大きく至る所で修復工事が行われていました。
それではもう一か所の登山口の朝日鉱泉を目指すものの、そちらも林道通行止めになっていました。
万事休す!
2度目のチャレンジも不発に終わりました。
全国にある日本百名山を目指す登山者は、こうした事態は全て想定内として持っているものです。
今まで出会った登山者との話では、皆さんそれなりに一つの山に数度チャレンジしているのは珍しくありません。
そんなことから、また来ればいい、楽しみを取っておこうという気持ちで山形を後にしました。
次に目指したのが飯豊山(いいでさん)です。
山形から米沢、そして、飯豊山の麓の町喜多方へ。
飯豊山に登るルートは複数あります。その中でも比較的登山口までのアクセスが便利なのが福島県側の「川入」(かわいり)です。
「川入登山口」
前日この川入登山口駐車場で車中泊。
すでに20台ほど停まっていました。早朝5時に出発。
飯豊山頂上までの登山道は福島県側から北上するかたちで続いています。(地図上のマーカー)
途中、三国岳がありますが、これは地図上の右側が山形県、左側が新潟県、そして右下の方が福島県で3県が境となる山です。
となると、飯豊山は山形県と新潟県の県境にある山となりますが、実は福島県だそうです。
全国の山を登っていると、昔からの山岳信仰のことをよく見聞きするようになります。
特に地元の人たちにとっては、「オラが山」という意識が根強く信仰の山として崇められてきました。
頂上には本宮が祀られ、その参道は登山道として整備され現在に至っている所が多いです。
明治維新の時の廃藩置県により飯豊山がどの県に属するか?ということが話し合われたそうです。
飯豊山に限らずこうした全国にある山岳信仰の山は、どこかで県境の境界線を設けることから、この飯豊山においても例外ではなかったようです。
山形県か?、新潟県か?、それとも福島県か?
昔から福島県側から飯豊山山頂直下にある「飯豊山神社」参拝のための参道(登山道)が切り開かれていました。
山形と新潟の境にある飯豊山は、本来ならこの2県のどちらかに決まるはずだったわけですが・・・。
結果は、飯豊山に通じる参道(登山道)だけが福島県として決められたそうです。
山形県と新潟県に入り込んでの参道(登山道:マーカー部分)が福島県ということです。
山岳信仰の強い地元民の声を無視できなかったのかもしれません。
以前、東北の名峰「鳥海山」に登った時も同じようなことを聞きました。
頂上が山形県と秋田県の境にあることから、どちらの県に属するのか?ということで地元でもめたそうです。
又、九州の「くじゅう山」の名称もそれに似たものがあります。大分県九重町の九重か?、竹田市久住町の久住か?。同じ発音を持つ九重か久住?
今は山群の総称として九重連山、その主峰は久住山で落ち着いたそうです。
登山口から長坂といわれるブナ林の中、ひたすら急登が続きました。
三国岳手前の岩稜帯。
三国避難小屋
この場所が3県の県境で、この後の頂上までの登山道だけが山形・新潟に入り込んでの福島県?
標高1600mを超えて稜線に立つと、かなたに目指す飯豊山が見えました。
この辺りから高山植物が見られ始めました。
登山口からすでに5時間経過。アップダウンが続きまだまだ先のようです。
森林限界を抜けると、いよいよ飯豊山の山容が大きくなってきました。
中央の高くそびえる山の左奥が山頂だそうです。
かなた左手には大日岳(2128m)が!
飯豊山というより飯豊連峰と呼んだ方が適当かもしれない。
新潟・山形・福島にまたがる厖大(ぼうだい)な山塊である。
最高峰は大日岳だが、古来信仰の対象になった飯豊山は、その東にある2105m峰である。
深田久弥著「日本百名山」
「切合小屋」(きりあわせごや)とキャンプ地
この小屋の名称は普通に読むと「きりあいごや」と呼んでしまいますが、「きりあわせごや」と読むそうです。
昔、”水の権利” を巡って争奪戦が行われ、切り合いになったことがらこの名前が付いたそうです。
しかし、現代に至っては何か物騒な言い方のため「きりあわせ」と読むようになったそうです。
飯豊山への登山者の多くはこの切合小屋に泊まって、荷物を小屋に預けて軽装で飯豊山往復するようです。
この日もほとんどの登山者が当日に往復するか、または翌早朝に往復して下山すると話していました。
そんな中、私は重いザックを背負って頂上直下にある避難小屋を目指しました。
さて、いよいよ後半戦の登りです。
まだまだアップダウンが続くようです。
「飯豊山(後編)」につづく