森友問題とメディア

報道する側の姿勢

「書き換え」か「改ざん」か?

 

退職後、テレビの報道番組を観る機会が増えました。
又、図書館に行く機会も増え、読んでみたい本や興味の沸くような書籍を探したりするついでに新聞各社の記事に目をとおすこともしばしばあります。

私は朝日新聞を購読しているので普段他社の新聞を見ることはありませんが、図書館に行くと朝日以外の新聞を読むことができいろいろ比較することができます。
各紙記事の内容そのものは大きく異なるものではありませんが、特に社説や論評などのコメント、又、各記事の書き方や伝え方においては微妙に違うものを感じます。
このことは、新聞社の姿勢やどのような立場で報道しているかがこうして比較してみるとよく分かることがあったりします。

今回、「森友学園」への国有地売却をめぐる決裁文書の問題が、国政を揺るがす大きな事件として起きています。
この問題については、すでに連日のように新聞、テレビ、ラジオ、ネットなどでも報道されているので、今回のブログでは詳しく触れることは避け、ここでは新聞各紙の書き方・伝え方に焦点を絞ってみたいと思います。

それにしてもテレビの前で怒ることが増えた毎日ですね。

今回の決済文書問題は、3月2日の朝日新聞の報道(スクープ)で明らかになりました。

 

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朝日新聞3月2日朝刊 「森友文書 書き換えの疑い」の一面トップ記事

見出しのとおり、当初は「書き換え」という言い方で報道されました。
確かに疑いがあるということで書き換えがあったのではないか?ということでの内容でした。

 

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朝日新聞3/12日「書き換え」⇒3/13日「改ざん」の見出し

3月13日以降の森友文書問題の記事は、すべて「改ざん」になってきていました。

 

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読売新聞3/13日 「書き換え」       毎日新聞3/14日 「改ざん」

 

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毎日新聞の記事 「森友文書 各紙分かれた見出し」と題してのコラム

学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省の決済文書改ざんが国会に報告された翌日13日朝刊の在京新聞の表記を比較した。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞が見出しで「改ざん」としたのに対して、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞は「書き換え」だった。産経は14日朝刊では「改ざん」と表記した。
事態の悪質性に対する認識の違いが表記に表れた形だ。
毎日新聞3/14付

■朝日、毎日、東京、産経 ⇒ 改ざん
■読売、日経 ⇒ 書き換え

 

特に気にすることがなければどちらでもいいんじゃないの?と思われますが・・・。
しかし、ここには大きな違いがあるのではないでしょうか。

政府の記者会見で菅官房長官の発言では、
記者からの「文書の改ざんがあるか」という質問に対して、「私は書き換えだと思っている」との応えでした。

「書き換え」と「改ざん」では、まったく言葉が指し示す事実と実態が違うと思います。
すでに報道されているように、14件にも及ぶ決裁文書で300ケ所の「書き換えと削除」が行われていたわけですから、もはや「書き換え」という表現ではなく意図的な悪質性があるわけですから、ここは「改ざん」という表現が正しいのではないかと思います。
それでも「書き換え」だと主張する姿勢は、裏に何らかの隠し事や擁護する意図が見え隠れするように思えてなりません。

 

メディアの報道というものは一方的なものですから、視聴する側にとってはその報道がストレートに入りやすくなるように思います。
「書き換え」という表現であれば、何か書き直したのか、書き改めたのか、というように ”正しく書き直した” という表現にもなりかねません。
こうした表現によって、新聞の記事の内容は異なってくるものであり、又、テレビ報道においてもキャスターの発言内容も変わってくるものではないでしょうか。

「財務省の文書改ざん 民主主義の根幹が壊れる」
公文書の記載を、公務員が都合よく改ざんする。そんな行為がまかり通れば、国民は行政の何を信じればいいのか・・・。
公文書の改ざんは幾重もの意味で、民主主義の根幹を掘り崩す行為である。
問われるのは安倍政権のあり方そのものあり、真相の徹底究明が不可欠だ。
毎日新聞「社説」

日々私たちが見聞きし視聴するメディアの報道は、その内容の事態を正確に見抜き、事実を的確に伝えるために言葉を選ぶことが求められているのではないかと思います。
「改ざんした」という事態を見抜けば、その後の記事はその周辺に巣く暗部を指摘し、真相に迫る報道に変わってくるものではないかと思います。

たったひとつの表現ですが、伝える側、受ける側の印象は変わってくるものですね。

12 thoughts on “森友問題とメディア

    1. 紀州のカモシカさん

      お久しぶりですね。
      ブログに訪れていただきありがとうございます。
      これからもまたコメントよろしくお願いします。

  1. 今晩は。ご無沙汰しています。
    「改ざん」は 漢語で、「書き換え」 は 和語だと思いますが・・・和語は柔らかい響きです
    が、漢語は固い表現で、きつく感じる時があります。

    同じような表現でも、ずいぶん違いを感じます。

    今でも或る高校の「世界史」の教科書を思い出します。
    日本は中国を「侵攻」した。「侵略」ではなかったです。これまたかなり意味合いが違います。

  2. Roseさん

    コメントありがとうございます。
    漢語と和語のこと、主に音訓読みで読まれることのようで勉強になりました。
    又、「侵攻」と「侵略」についても同じような感じで受け止めがちですが、これもまた全く違う意味ですね。
    私たちが普段目にする様々な文章や新聞などでしっかり認識して読まないと、誤った方向に導かれてしまうことがあると思います。
    貴重なご意見ありがとうございます。

    話は変わりますが、先日Roseさんから紹介された狭山ヶ丘のトコロード商店街に妻と二人で行ってきました。
    Roseさんがおっしゃったお肉屋さん(お惣菜)のお店わかりましたよ。
    実は、当初わからなくて通り過ぎてしまい商店街をぶらぶら歩きながら探しました。
    それらしいお店が分からず所沢入間バイパス(463号線)を渡って商店街がなくなる場所まで歩いてしまいました。
    ちょっとおかしいな?と思って通りかかったご婦人に尋ねたところ、その方はそのお店のことをよく知っていて案内してくれました。
    たいへん親切な方でずっと歩きながら3人でおしゃべりして商店街を戻りながら散歩しました(笑)
    ご婦人の話では地元ではかなり有名店のようで午前中に売り切れてしまうと言ってました。
    お店はシャッターが下りていてすでに閉店していました(午後2時頃)
    な~んだ駅からこんなに近い所にあったんだ~と妻と笑いながら話しました。
    所沢商業高校近くまで商店街を往復しましたが、とても素敵な商店街で楽しませてもらいました。又、ご近所のお話好きなご婦人とのおしゃべりもできて楽しい一日でした。
    せっかく来たんだからということで、もう一度商店街を戻って鶏肉屋さんのお惣菜を買って帰りました。
    また機会があったら来ようと思っています。
    素敵な商店街を紹介していただきありがとうございました。

  3. すーさん、「とこ商通り「」にいらっしゃったのですね。

    午後2時では肉屋さんの商品はすべて売り切れです。100円の串カツがおいしいです。

    もう少し先の肉屋さん「モリヤス」(漢字忘れました・)はローストビーフがおいしいです。特
    売日には行列ができます。(西〇デパート本店で)

    鶏肉やさんに行かれたのですか。あそこのご夫婦、とっても親切です。私も時々
    焼き鳥を買います。少し高めですが鴨肉の焼き鳥おいしいです。

    所沢商業の生徒さんが焼き鳥やコロッケを買って食べる姿を見かけます。

    良心的なお店が多いのですが、今、どんどん閉まっていて、寂しい限りです。

    親切なご婦人はもしかして・・・水泳で一緒に泳いでいる方かな?そんなことはないでしょう
    が、(笑)大阪訛りがありましたら彼女です。親切でとても楽しい大阪のおばちゃんです。

    迷っている人がいましたら声掛けしてくれる土地柄のようですよ。楽しまれたようで
    何よりです。今度、小さな肉屋さんの串カツを食べてくださいね。

    私は決して肉屋さんの回し者ではありません(笑)

    1. Roseさん

      早々の返信ありがとうございます。

      私たちが訪れたのは水曜日でした。
      お肉屋さんの「肉匠もりやす」は、なんとその日は定休日でした(残念)

      鶏肉屋さんは、たしか「鳥一番」と店名だったと思います。
      ブロイラーの鶏肉は苦手ですが、このお店は「大山どり」と看板に出ていたので安心して買うことができました。焼き鳥、から揚げ、コロッケ、メンチを買いました。
      夕食のおかずに購入しましたが、妻は帰りの車の中で焼き鳥、から揚げをつまんでしまい、帰った時には半分ほどに減っていました(笑)
      それだけ美味しかったんですね。

      楽しく美味しく有意義な情報ありがとうございました!

  4. 我田引水ですね。

    新聞もTVのニュースも、淡々と事実だけ述べて受け取る側が考えればいいと思いますが
    やたら意見も押し付けてきますね。

    仕事柄、20歳位若い人と話す機会が多いですが、丸呑みして疑問を持たない人多い。
    仕事が忙しく立ち止まって考える時間もないのかもしれません。
    世の中には色々な意見があり、一歩下がって自分で考える力が欲しいです。
    わたしもまだまだですが・・・。

    1. ヒロさん

      コメントありがとうございます。

      ”我田引水” なるほどそのとおりですね。
      自分の都合のいいように捉えて発言したり、行動したりする人や組織に疑問を感じることが多くなってきました。
      こうした発言や行動に対して、受け取る側がどう判断するかが大事なことだと思います。

      強い力、強い発言に対して、その方向に向いてしまったり、又、その方向に流れてしまうような傾向があったりする場面が多々あります。
      それは政治であったり、会社組織の中でも、各種セミナーや会議・ミーティングなどでも私たちの生活する周りでよく体験します。
      こうした時にヒロさんがおっしゃるように ”一歩下がって自分で考える” ことや立ち止まって吟味することが必要ではないかと思います。

      貴重なご意見ありがとうございました。

  5. すーさん、
    わたしの意見など貴重な意見じゃないよ。
    自分で考えるって一般の人には難しいってこの頃分かった。
    自分の考えで道筋つけるってグーグルとか人間力で生きてる会社です。

    反対に日本の企業は数でモノを言わせるのが大部分です。
    個人的にメールしようか?とも思いましたが色々な考えの中で
    わたしの意見も淘汰されていくことを望みます。

    1. ヒロさん

      私は今まで企業というひとつの組織の中で働いてきました。
      企業の方針・指示に基づいて働く中、疑問を持つことは多々ありました。
      営利を目的としていますから、やむを得ないと思いその方針には従ってきました。
      サラリーマンですから正直 ”自分の身・立場” ということも当然ありました。
      時として上司に質問したり、疑問を投げかけたりしたことは度々ありました。
      それは主に労働環境、雇用に関連しての会社の方針に対してでした。
      そのことで改善できたことはほとんどありませんでしたが、やはり疑問に思うところは意見として進言してきました。

      会社という組織の中で個人の意見・考えによって変わるということは難しいことだと思います。
      しかし、そうした想いは流されることなく、たとえ変わらなくても持ち続けていくことは大切なことだと今でも思っています。

      個人の考え、意見というのは必ずあると思います。
      それは、個人によって考えの深さ、意見の中身においては様々だと思います。
      こうした中で自分の考えや意見を押し付けたり押し通す前に、他者の意見・考えを尊重する姿勢や聞く耳を持つことが大事なことではないかと思います。

      1. ヒロさんとすーさんの意見交換とても気持ちよく読ませていただきました。

        『仕事が忙しく立ち止まって考える時間もないのかもしれません。
        世の中には色々な意見があり、一歩下がって自分で考える力が欲しいです。』
        『立ち止まって吟味することが必要ではないかと思います。』
        『しかし、そうした想いは流されることなく、たとえ変わらなくても持ち続けていくこ
        とは大切なことだと今でも思っています。』

        自分で考えるということが本当に少なくなってきていると感じます。
        間違っていることでも大きな声で言っている人のことが正しいと思っている人が増えて
        きているのではないでしょうか。

        1. 槌が崎さん

          コメントありがとうございます。

          >間違っていることでも大きな声で言っている人のことが正しいと思っている人が増えてきている。

          今、日本をはじめ世界の政治の流れが、槌が崎さんがおっしゃるような上記の傾向にあると思います。
          このことについて以前ブログでも述べましたが、まさに「ポスト真実」という言葉が当てはまるのではないでしょうか。
          この言葉の意味は、客観的な事実より、感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況を指しているというものです。

          最近の政局では「モリカケ」問題が良い例として挙げられると思います。
          改ざん、不正、疑惑という事実が覆い隠され、関与していないという一点で幕引きを狙う行動にもあらわれていると思います。
          仮に関与していなくてもこうした改ざんについて、「徹底的に明らかにする」という発言とポーズは、結果として ”何もしない” ということにつながります。

          「経済の活性化」「賃金格差の是正」「正規雇用拡大」「働き方改革」「求人倍率」「社会保障の充実」「トリクルダウン」・・・。
          大きな声で訴え、そうしたポーズを作っても客観的な数字や待遇は何ら改善されていません。逆に悪化の一途ではないでしょうか。
          一部の富裕層と大企業が潤う政策としては大きな成果を上げたと思います。

          そうした発言に惑わされず、しっかりと客観的な事実をみて判断していくことが求められていると思います。

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