60歳からの現実(リアル) (31)

リタイア後も引きずる ”理屈や打算” ?

「受け身」の生活から脱却しよう!

 

今年で64歳になりました。

この間、好きな登山をはじめ、更に夫婦で全国くるま旅を続けてきました。
又、持久系スポーツにも興味が湧き、マラソンやサイクリング、スイミングまで日常生活の一部になってきました。

働き続けてきた会社生活からこうした趣味の世界から見る光景は、今までの仕事中心の生活とは違ったモノが見えてきました。
それはリタイア後の生活において、”何を糧に過ごしていくか” ということにつながるものだと。
ここで言う「糧」とは、様々な経験とその蓄積、そしてそこから学び得ることや教訓です。

 

今まで、登山・くるま旅、持久系スポーツ、各種セミナーをとおして多くのリタイアした人たちとの出会いがありました。
そして、その出会いから学ぶことがたくさんありました。

例えば、旅やスポーツで出会った人たちとの話というのは、同じように身近にいるリタイアされた人と比べると、その考え方や行動の違いというものに気づかされるものがあります。

何が違うのか?
ハッキリと目に見えるものではありませんが、普段の日常会話や一期一会の出会いであったとしても、その人たちの生き方というものが見えてくるように思えます。

 

■以前、知人がマイレージやLCCについて話していました。

「かなりマイレージが貯まったからどこかに行こうかな~」
「有効期限が迫っているから使わないと」
「格安のLCCがあるから利用してどこか旅行に行ってみようと思っている」

これらのことは、旅行に出かける動機にもなりますが、果たしてその旅が満足いくものになるかということです。
旅行から帰ってきた知人に、「旅はどうだった、面白かった?」と聞くと、その返答は「まあな、時期的にちょっと外れていたけどな~・・・」という具合でした。

つまり、「目的」があるか、ないかによってその旅の面白さや充実さに大きな違いが出てくるのではないでしょうか。
極端な話、マイレージやLCCを使うことが目的になっているため、使った時点でその目的が満され旅はオマケということになってしまいます。
これでは旅で得た感動はあまりなく、さほど思い出に残ることもないでしょう。
もちろんマイレージで交通費が抑えられたり、LCCで格安になったりすることでの経済性はありますが、あくまでも手段なんですね。

この時期にこの景色を!この花を!ぜひ見てみたい、この土地で地元グルメを食したい、興味のある歴史遺産の地に行ってみたい、映画のロケ地や思い出のあの地をもう一度訪れてみたい・・・。
旅にはいろいろな目的があると思います。その目的が達成されることで、「いい旅だったな~」と振り返ることができるのではないでしょうか。

目的がハッキリしていて、且つ、旅の手段としての交通費が抑えられれば最高だと思います。

 

■勤めていた会社のOB会に出席した時、完全リタイアした先輩・同僚が話していました。

「リタイア後、もっと自由な時間があると思ったけど親の介護や孫の世話があって旅行にも行けないよ」
「今、家庭菜園やってるんで・・・、ペットがいるんで・・・、その世話があるから旅行や趣味活動は難しいよね」

皆さん、どのように思いますか?

”旅行すること自体が目的?” になってしまうなら行かない方がいいんじゃないかと思ったります。
旅に出て何をしたいのか、何を観たいのか、何を食したいか・・・前述した目的ないと充実したものが得られないと思いますが。

 

■又、こんな会話もあります。

「リタイア後、特にやることがないんだよね~」
「趣味として〇〇をやってみようと思っているけど、難しそうだし費用もかかりそうだし、それにもういい歳だしな~・・・」

以上このような話に共通していることは、”常に「受け身」という感覚” なんですね。。

そこには自分から働きかけていく意思と行動というものが感じられません。
LCCにしろ格安航空にしろ、そこにそうした条件があるから試してみようという受け身、○○があるから行動できない、単に時間がないと決め込む受け身、自分の身体や経費を常に前提にする受け身があるのではないでしょうか。

 

それぞれの家庭には様々な事情があります。
そうした事情を軽視するわけではありませんが、生き方や考え方があまりにも「受け身」なんじゃないかな?と思う時があります。

特に長年サラリーマンとして過ごしてきた人にとっては、こうした傾向が強いと感じます。
私も35年間サラリーマン生活を経験してきました。
振り返れば自分が仕事を通してやってきたことへの自負はそれなりにありました。会社への貢献や達成してきた業績など誰でも大なり小なりあると思います。

しかし、よくよく考えてみると、そうした仕事というのは会社から与えられたモノ、上司から指示されたモノで、それに対して結果を出してきたモノなんです。
もちろんそれ自体評価されるべきものですが、要は ”与えられたモノ、指示されたモノ、自分から進んでやったモノ” であっても結局のところ全て「受け身」なんですね。
あくまでも会社という組織の中で与えられた仕事への評価であって、それが地位や肩書に惑わされることで「受け身」という意識が薄れてしまい、自分自身が自分の力や能力を誇大評価してしまうことにつながります。
こうしたことを否定するつもりはありません。会社という組織の中では当然あっても良いことだし、そうした力が更にその人の能力を引き出していくものですから。

問題は、定年後もそうした気持ちと ”「受け身」という感覚” の2つを引きずることだと思います。

よく書店に並んでいる定年本や退職後の過ごし方の書籍類、更には熟年離婚などの話の中に出てくる、”枯れた男性の姿” をこの場で述べるつもりはありません。それはさんざん書かれていることですから。

ここでは、もう一つの ”「受け身」という感覚” についてです。

私たちは学生の頃から比較する、比較される人生を長年歩んできました。
例えば、高校・大学受験、入社試験、会社での昇進試験、業績評価や地位・年収、又、住宅取得有無や子どもの学歴、そして老後の資金までも?・・・。
こうした他者との比較と行動は、自分の力を更に高めていくための原動力・励みにつながるという点では良いこともあると思います。もちろん全てではありませんが。
このことは、「社会」から要請?されたものに対して対応していることを考えれば、これも受け身というふうに捉えてもおかしくはないと思います。
特にサラリーマンだった人にとっては、前述したような受け身として長年過ごしてきました。

この長年の受け身人生が、退職後も意識することなく引きずっていることで、自分から行動を起こす戸惑いや術が分からないといった事態に陥るのではないでしょうか。

 

受動的(受け身)とは、「自分の意思ではなく、ほかのものによって何かをさせられるさま」を言います。
逆に、能動的とは、「自分からほかへ働きかけるさま」です。

自分がこうしたいと思ってもいろいろな諸事情によって難しいことがあります。
そんな諸事情をしっかり受け止め一つ一つ時間をかけて紐を解いていくと、その改善策・解決策というものが次第に分かってくることがあります。
前述した親の介護問題などがいい例だと思います。

今回は旅行に出かけることを一つの例に挙げましたが、自分がやりたいことを望むことに障害があるのであれば、一つ一つその障害を取り除いていく行動が必要だと思います。

○○があって出来ないのであれば違う方法を探したり、日程を調整したり、他に依頼したり、自ら時間をかけて解決した後に・・・、
様々な方策があると思います。
そうしたアクションを自ら起こす(能動的)ことによって開かれていくのではないでしょうか。

 

冒頭の話に戻ります。

登山やくるま旅、スポーツ競技で出会った人たちから学んだことは、目的がハッキリしていることと常に能動的に行動している姿でした。
長期くるま旅をしているご夫婦、公共交通機関を利用して旅をしているご夫婦や単身者は、様々な家庭の事情を抱えているにもかかわらず、それらのことを受け止め何らかのアクションを起こしてこの場にいることを話されていました。
”自分たちはこうしたい!” という前向きな考えがその行動を支えているのでしょう。

○○があるから出来ないのではなく、○○があってもそのことを自ら改善していくことで実現させることを教えられました。

旅費が抑えられるのであればマイレージやLCCを使って旅に出ることは最良といえるでしょうが、旅の目的を達成させる過程で時期的、日程的、時間的な条件をクリアできなければ使う意味はないと思います。
仮に使うことが出来ても、これらの条件を満たさなければ通常料金で旅をすることを善しとするでしょう。
なぜなら旅の目的があり、且つ、自分の意思に関係なく諸事情が発生する可能性があるからです。
自分が満足できる旅ができるのであれば、その時はしっかりお金を使えばいいのではないでしょうか。
その価値は十分にあると思います。

 

20200911_101912   20200911_101956

 

60歳からの生き方、過ごし方について旅から得たお話をしました。
旅に限らずこれらのことは日常生活においても言えることが多々あります。

この歳になると、私たちの生活は受け身になりがちになります。
余計な事には口を出さない、無理はしない、誘われたから行ってみようか、誰から言われたからそうしようか、お金がかかるから止めておこう・・・。

こうした受け身という感覚は自分の意思でハッキリ決めないため、常に傍観者的・第三者的な見方・考え方になる傾向があると思います。
自分で決めたことではないので責任がない、言い訳ができる、逃げ道がある・・・、といった感覚です。
常に楽な立場に自分を置いていることなんでしょうか。

もう一つは、理屈や打算で物事を判断していく傾向もあるように思います。

まだ働いている頃には、仕事上での道筋や道理というものを考え損得勘定を見積もったりすることは多々ありました。
そこには、理屈だけでは?とか損得だけでは?という反発心もありましたが、自分のポジションやカイシャのことを考えて自身を納得させてしまうものがありました。

そして、リタイア後もそうした理屈や打算を引きずることから、更に受け身の過ごし方になっていってしまうような気がします。

「旅費と時間だけを計算して出かける旅よりも、ゆっくり温泉につかるためだけに訪れてみよう」
「華やかな観光地は避けて、昭和の面影のあるレトロな街並みを散策してみよう」
「その土地の○○を食べたい!そのためだけに行ってみよう」
「お金が多少かかってもいいじゃないか、この時期にしか見られないんだから。そのために使おう」
「先を急ぐ高速道路やバイパスを使わないで地元の生活道路を走ってみたら面白い発見があった!」
「以前観た思い出の映画のロケ地や小説の舞台となった地を訪れてみたい」
「旧中山道や熊野古道をゆっくり時間をかけて歩いてみよう」
「景色のいい海岸線を自転車で爽快に走らせてみたい」
「マラソン競技に出てみよう。ビリでもいいじゃないか、完走できれば!」

ここには、理屈や打算は存在しません。又、傍観者的な見方もありません。
自分がそうしたいと思う気持ちと行動があります。

もちろん、傍観者的、理屈や打算の見方・考え方を批判するつもりは毛頭ありません。
リタイア後収入が減り年金だけの生活になれば、それなりの生活の仕方(縮小)や安定を求めるようになりますから。

ただ、私たちリタイアされた人にとっては、現役時代ほどのしがらみはありません。
理屈や打算だけで過ごすことを止めれば、今までと違った世界が見え、新たな出会いと発見があると思います。

個人によってそれぞれの考えや価値観は異なります。それはそれで尊重すべきでしょう。
健康寿命という限られた時間の中でどう行動するか?
いろいろ考えさせられる60代ですが、”そうした行動が許される年代” だと私は思います。

7 thoughts on “60歳からの現実(リアル) (31)

  1. 自営業ではなくサラリーマンに多い傾向ですね。
    企業のブランドに庇護された環境で、与えられた範疇の仕事だけこなせばよ
    い人に見られます。
    これらの人の多くは、与えられた仕事の中で創意工夫を試みて改善しようと
    はせず、愚痴が多く能書きだけは達者な人が目立ちます。

    そして少し困難な状況に陥れば、すぐに「出来ない!」と言うんでしょう
    ね。
    出来ないと軽々に言わない方がいいよ。出来ないとは出来そうなことをすべ
    て試したあとでないと言えないことなんだ。と読んだことを覚えています
    が、まさにそうなんだよね。

    もっともサラリーマンの中でも経営に係わった人や最下層の立場で愚直に働
    いた人には見られないと思います。これらの人は逃げようがなく、最期まで
    自分自身で処理しなければならない経験が生きているのでしょう。

    じつはリタイア後を持て余している友達に、私がしている援農を進めてみま
    したが、1週間もしないうちに「あの人は断って」とオーナーに言われ、辞め
    てもらいました。
    ところが自発的に紹介を依頼してきた人は評判が良いのです。

    これは仏陀の教え「自燈明」のように「他人ではなく自分自身を頼りに生き
    る」が出来るからにほかなりません。
    また仏陀は「今日を生きる」ために、「過去を追うな。未来を願うな。今日
    一日なすべきことをなせ」とも言っています。

    リタイア後は、いつお迎えが来るか分かりません。まして健康寿命でいられ
    るのもそんなに長くはないでしょう。その一日、一日を如何に過ごすかを自
    問できるかどうかでしょうね。

    1. Rockyさん

      お久しぶりですね。
      お元気そうでなによりです。

      >リタイア後を持て余している友達に・・・援農を進めてみましたが・・・。

      まさに典型的な事例ですね。
      自分から自発的に何かをしようと考え行動している人とは大きな違いがありますね。
      やはり受け身の人生を歩み、さらにリタイア後もそのことを引きずっているからでしょう。

      辞めてもらった人(辞めさせられた人)は、多分生活に困ることはないと思いますが、問題はなぜ辞めてもらったのか(辞めさせられたのか)という理由が、本人に自覚があるかないかということでしょう。
      こうしたことでこれからの過ごし方に大きな影響を及ぼすかどうかは分かりません。
      それはそれぞれ個人によって価値観が異なるわけですから。
      ただ、健康寿命という限られた時間の中で、自分が納得のいく生き方・過ごし方ができれば幸せだなと思います。

      コメントありがとうございました。

  2. すーさん いつも美味しい記事を楽しく拝見しています。
    こちらも、主夫業が定着して、毎日、冷蔵庫の中身と相談しながら、
    「ある物(食材)で創作?する」活動の最中です。

    今回のお話は、身につまされるというか、よくわかります。
    私もサラリーマン生活の最後の方では、毎月の海外出張やビジネス
    クラスが当たり前のような生活がありました。
    何もしなくてもマイルが貯まり、航空会社の上位ステータスの
    カードをもらったりして、ずい分羨ましがられました。
    しかし、退職して、そのマイルでどこかへ行ったかというと結局、
    飛行機に乗らないで、電気代や商品に交換したり、退職後の
    楽しみに使うことはありませんでした。
    所詮、オマケとしてもらったものなどは、自分で貯めたお金と違って
    価値がないのかもしれません。

    今は、すーさんの生活を見て、目的のない特別なこと(旅行など)は
    やらず、普通の生活の中で、目的を持ったものだけに、価値を求める
    ような生き方に変えています。(すごく、刺激を受けた次第です)
    OB達が競うように、海外旅行やゴルフ、クルーズなどへ出かけて
    いる姿を見ても、羨む気持ちは湧いてきませんね。
    自分なりに価値感を持ち、目的のある生き方をすることは、本当の
    意味で、豊かになるものと実感しています。

    最近は、近場ですが、熊野古道をあらためて見直し、ドライブ&
    ウオークの日帰り散策を繰り返しています。
    自宅から、熊野大社までは日帰りコースなので。
    路の歴史を調べてから、出かけると小さな神社でも感無量な気分も
    味わえて、楽しみが増えました。
    まあ、途中で地場野菜や魚を買う楽しみもありますが(笑)

    私の三重県は、歴史の宝庫のような所ですが、40年も住んでいて
    何も知らなかったというのが、現実でした。
    当分も間は、時代小説と読んで、現場へ行き、体感する楽しみが
    続けられそうです。
    その方が、健康的にも良いでしょうね。
    年が明けるといよいよ前期高齢者の仲間入りです。
    お互い、元気がなによりの生活をエンジョイしましょう。

  3. すみません。PCをリセットした時に、ネームなども
    消えてしまい、コメントが匿名になってしまいました。
    先ほどのコメントは、「あらちゃん」が送ったものです。
    念のために。

    1. あらちゃんさん

      熊野大社まで日帰りコース!? いいですね~! 
      三重県は伊勢志摩や鈴鹿山脈など海あり山あり、そして温暖な地域ですから羨ましいです。
      以前、紀伊半島を巡るくるま旅に出かけた時、牡蠣などの海の幸や海岸線の美しさに魅了されました。又、近くには熊野古道や大峰山・大台ケ原などの名山もあり自然豊かな所ですね。

      >40年住んでいて何も知らなかった・・・。

      私もまったくそうでした。
      働いている時は意外と近くの名所というものを知らずに過ごしていました。
      退職後は奥多摩、奥武蔵、秩父などの山々の良さを知り、な~んだ、遠い所に行かなくてもこんな近場にいい所があるじゃないか!と思いました。

      >普通の生活の中で、目的を持ったものだけに、価値を求めるような生き方に変えています。

      そうですよね。
      自分が満足できるもの、やってみたいことに時間とお金をかけた方がよっぽど価値あるものになると思います。
      それは意外と身近なところにあるのかもしれません。
      行って来ただけで終わるよりも、そこで何を得たか、どんな良き思い出を残したかという方が価値のあるものなんですね。
      そうしたものをいくつ積み上げられるか?これからが楽しみです。

      余談ですが、ここ最近のくるま旅では「城めぐり」も楽しみの一つに加えています。
      お城と言えば「天守閣」に興味を湧くように思えますが、天守閣のない城址や石垣だけの方が面白く感じています。
      後で立派に作られた天守閣より、昔のままの城址の方が ”想像を掻き立てられます”。
      例えば、長崎天草の原城址、佐賀の名護屋城址、安土城跡など何もありませんが、その場に立って当時の状況を想像するだけで面白さを感じるようになりました。
      お金をかけて立派に復元するのもいいですが、その時のままの方も味があっていいものです(笑)

      コメントありがとうございました。

  4.  今回の論旨にはほぼ同感です。
     多くの人にとって主体的に考え行動することは難しいのでしょう。
    子供のころからそういう教育も訓練も受けてこなかったし、そうすることがあまり褒められもし
    なかったからでしょうか?

     かつての職場ではそういう(受動的)人はやるべき新しいテーマが出てくるとやろうと努力を
    するのではなく、やらない理由をああだ、こうだと言い続けていました。そんなことをしている
    時間にやればできちゃうのにと感じていました。
     やった方がどんなに楽しく、みんなのためにも自分のためにもなるのにと思うことがたびたび
    でした。そういうことをやったことがない人、できないと思っている人は実現した時の何とも言
    いようのない快感を感じたことがないのではないでしょうか。
     私たちは仲間内ではその快感を「禁断の蜜の味」と言っていました。麻薬のようなもので、ま
    たその蜜をなめたくなるものでした。

     今回例えとしてマイレージやLCCがでてきましたが、期限が近いからとかその時が安いからと
    いう理由でそれらを使っても、旅そのものを自分で目的に合わせ、計画し、実行するものである
    なら、能動的と言えるのではないでしょうか。
     一番受け身だと言える例としては、近所の人が皆行くのに行かないのはカッコ悪いとかの理由
    で行先も料金もあまり考えずにパック旅行に参加することではないでしょうか。帰ってきて少し
    すれば自分で計画したわけではないので細かくはどこに行ったのかも思い出せないでしょう。

     とても印象に残っている過ごし方は、車中泊での北海道天塩岳登山口で会った九州の方は奥さ
    んが病で毎日お世話をしているとのことでした。でも奥さんの妹が介護を申し出てくれるので年
    に2週間は休暇をもらうのだそうです。そしてその時に好きな山登りに行き、頂上でビールを2
    本飲むのがたまらない楽しみだと。逆コースで登った私は頂上で彼のその姿を見てうれしくなり
    ました。

     あと多くは言いませんが、ある程度社会性のある生き方というのも必要ではないかと思いま
    す。

    1. 槌が崎さん

      たいへんお久しぶりですね。
      いかがお過ごしでしたでしょうか。

      >新しいテーマが出てくるとやろうと努力するのではなく、やらない理由を・・・。

      そうですよね。私もそう思います。
      そういった人たちの共通する点は、槌が崎さんがおっしゃるようにまずは出来ない理由を並べ立てるところから始まります。解決策を見出したり、どのようにしたら出来るか?、又は近づけることができるかといった考えがないことです。
      これでは何事も前に進むこと、進めることができませんよね。

      こうしたことは私たちのあらゆる生活の場面で出てくると思います。
      相手の意見や考えを尊重することすらできず、常に否定的に物事を考えていってしまう傾向にあると思います。

      >とても印象に残っている過ごし方は、車中泊での北海道天塩岳登山口で会った・・・。

      私もこうした人たちとの出会いがたくさんありました。
      今回のブログを書くキッカケになったものです。
      一期一会ではありましたが、同じ旅をする者同士や登山者同士という親近感があり、お互い素直な気持ちで様々な話題を話すことができました。
      こうした人たちの共通点は、一言でいえば「常に前向き」ということです。
      誰しもいろいろなモノを背負っています。そうしたモノを全て受け止めてこの場にいるんだという想いが伝わってきます。

      私たちも自分の足で行動できる時間は限られてきています。
      であるならそうした時間を大切にしながら、否定的ではなく常に前向きに過ごしていきたいと思いますね。

      コメントありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。