「60歳からの生き方再設計」を読んで

第2の人生の過ごし方を再考~

脱・会社人間を考える

昨年3月早期退職後、アッと言う間に1年半経ちました。                退職前は、今まで出来なかったことやチャレンジしてみたいことを思い描き、その内容を書きしたためておきました。そして退職後は、10年先までの生活プランと想定される余命期間の家計プランを作成してみました。又、直近一年間の生活スケジュールをある程度具体的に立ててみたりすると、将来の姿がおぼろげながら頭の中で形となって現れてきたりします。長年会社勤めをしてきた中で、第2の人生に向けて少なからず心の準備をしてきたことが、退職後スムーズにスタートできたと振り返ってみました。

生き方再設計1   生き方再設計2

本書「60歳からの生き方再設計」で著者矢部氏は、                                大企業の役員だろうが管理職だろうが、定年になれば肩書のない「ただの自分」に戻る。しかし、人生はそこで終わるわけではない。新しい生きがいを見出し、社会とのつながりをつくり直さなければ、充実した楽しい老後を送るのは難しくなる。          

現役時代、まさに会社人間であった私は「会社と自己のアイデンティティをほとんど同一視していた」部類ではなかったかと、この書を読んで再考しました。                  日本経済のバブルとその崩壊を経験してきた中高年男性のほとんどは、多分この部類に相当するのではないかと思います。個人主義社会の欧米人からみれば特異な考え・生き方かもしれませんが、会社に対して忠誠心や使命感を持ち、自分の能力を捧げることで、自分の存在性を高め満足感や達成感があったのではないかと思います。                       そのこと自体を否定するものではありません。逆にそのアイデンティティの同一視が、小国でありながらも成長を続けてきた原動力になっているといっても過言ではないと思います。

しかし、定年退職を迎えた多くの中高年は、これから楽しい生活が待っているという夢と希望に胸膨らませ第2の人生をスタートしますが、現実はそうではなかったと・・・・。 「あなたは会社にいた頃と、少しも変わろうとしていないじゃありませんか。相変わらず威張って、家族を召使のようにつかって」と怒りを爆発させ、もう我慢の限界!     この夫婦間の様子が全てを物語っているようです。                 これに類する書籍や雑誌、ネット上の関連サイトに多くの評論があるので、ここでは特に深く触れませんが、問題はそれまでに至る家庭での過ごし方や生き方にあると指摘している点が共通しています。                              今年6月NHK番組で村上龍原作の「55歳からのハローライフ」が放映されました。まさにこのことが現在の中高年の姿を象徴しているように思いました。又、今回の「60歳からの生き方再設計」では渡辺淳一の小説「孤舟」が紹介されています。                    問題解決の結論から言えば ”会社と個人のアイデンティティを分ける” という生き方にあると指摘していますが、なかなか現実は難しいと思います。             ただ言えることは、やはり「自己を変える努力を意図的に行う」ことが必要だと痛感します。本書では、日本の会社人間にとっては大きなテーマとして位置づけています。                 「退職者の多くが地域活動などに積極的に参加できないのは、退職してからも昔の会社を拠り所にしている」そして「一つの解決策としては、退職後のプランを定年前から準備し、会社を辞めても自分の生き方ができるようにしておくこと」

私の場合、結婚以来夫婦共働きだったということと、共通の趣味や価値観の共有化をしてきたことでこうした事態を免れましたが、先輩や知人の多くは少なからずこの体験者であり現在進行形の方もいるようです。しかし、団塊世代の後に生まれた私の世代(昭和30年代初期~)は、少し違うように思われます。                    私たちの時代は、70年安保以降、たしかに三無主義(マスコミの揶揄)が広がってきた時代でもあり、どちらかというと組織から個人を重視する過渡期に位置していた世代だったのではないかと思います。これによって会社人間であっても一歩引いた形で団塊世代の後ろ姿を見つつ、一方、自分(個人)の設計(趣味や家族)を考えていたように思います。                                       とは言っても、会社と個人のアイデンティティの同一視で過ごしてきた中高年者の生き方にとっては、これからの第2の人生をスタートさせる上で大きな課題ではないかと思います。

「新亭主関白宣言」?

退職後は、カミサンと二人で過ごす夫婦生活が待っています。             早期退職した私は、カミサンより先に家庭に入り家事をしていますが、ほとんどの場合、ご主人が退職後すぐに二人生活に入ります。ここで問題になるのが、カミサンの生活パターンがすでに出来上がっていることに対してのダンナの存在と居場所により、家庭内不和が起こることです。このことも多くの書籍や雑誌、テレビ、ネットサイトなどで家庭内別居、熟年離婚という話題で取り上げられています。                  元はと言えば、その原因はダンナの「仕事と個人のアイデンティティの同一視」にはじまっています。その解決策はどうすればいいの?と言う問いに対して綺麗な言葉で言えば「奥様を一人の女性として尊重すること。お互いのプライバシーを守ること。あいさつと感謝の言葉をかわすこと。自分のことは自分でやること」などなどでしょう。

本書の中で                                    「夫の昼食を作る度、離婚を考えます」と題し、定年夫の昼食による妻のストレスについて、40代から60代の主婦60人に「昼食の時間に夫がいることに嫌悪感を覚えるか?」と聞いたところ、「はい」が56%と過半数を占めた。                  もうお分かりですね。この事実が全てを物語っているようです。もし分からないダンナさんよ~く考えてみてください。

本書では更に、福岡市中央区に事務所を置く「全国亭主関白協会」(天野会長)のことが紹介されていました。一般的に亭主関白というと、ご主人が妻に対して威張るイメージがあります。私も最初はどういうこと?と疑問に思いました。                    「亭主」とはお茶を振る舞う人、もてなす人という意味で、「関白」とは天皇に次ぐ2番目の位(家庭内ではカミサンが天皇で、夫は関白)だからである。           天野会長は高らかに「新亭主関白宣言」をし、会員には「1番手は妻に譲り、2番手の喜びを得て、かわいい亭主になろう」と呼びかけている。

つまり、通常の亭主関白の意味とは逆で、離婚を切り出された夫や家庭内での夫婦間の悩みを抱える中高年男性に対しての相談窓口的な会のようです。特に団塊世代が退職し始めた2000年代後半から会員が急増し、現在では2万2000人にのぼるそうです。

会員になったら、「ありがとう」「ごめんなさい」「愛してる」の愛の三原則をためらわず、恐れず、照れずに言えるようにする。そして夫婦喧嘩になったら、「勝たない」「勝てない」「勝ちたくない」の非勝三原則を守るように努める。

天野会長は「会員には”最初は心を入れなくていい。気持ちは後からついてくるから”と言っています。言葉自体にパワーがあるわけで、愛の三原則を練習代わりに言えば道は開けてきます」という。

夫婦生活を円満に過ごしていく上で、いろいろなかたちや手段がありますが、やはり基本的な考え方については学ぶ点が多々あります。                    現在、私は毎日朝食と夕食を作っています。昼食は、働き続けているカミサンのお弁当も朝食のしたくをしている時に同時に作っています。朝食、夕食時、お弁当を渡す時には必ずカミサンは「ありがとうね」「いつも助かります」と必ず声をかけてくれます。なにげない言葉で素通りしてしまいますが、はたしてこうした感謝の言葉を今まで自分は言っていたかな?と思い返してみたりします。

長い年月多くの中高年の方々は、会社と個人のアイデンティティの同一化だけで過ごしてきて、すぐに「ただの自分」に戻ることは難しいかもしれませんが、日常生活の中でちょっとした言葉や会話が問題解決の糸口になっているのではないかと再認識しました。

本書では、会社時代を「縦社会」、退職後の地域とのつながりを「横社会」と位置付けています。私の場合、リタイア後カミサンと共にまだまだやりたいことやチャレンジしてみたことがあり個人の趣味、嗜好の範囲でいっぱいですが、今後「横社会」への参画も考えさせられる一冊でした。

矢部武著「60歳からの生き方再設計」(新潮新書 2014年8月20日発行)700円     ※赤字は引用