親の介護を通して再考すること

子どもに頼らない自分たちの老後

私たちのような年代になるとこれからの自分たち夫婦の生活と生き方を今まで以上に考える機会が増えてきます。一般的に60歳前後を堺に親の介護が自分たちの生活の中に入ってきます。家族ごとにいろいろなパターンで大なり小なり関わりを持つようになります。  戦争を堺に大正・昭和を生き抜いてきた私たちの親の世代は、今まさに介護を受ける立場に立ちその子ども達は世話をする場面に遭遇しています。                そして現在核家族が進む中、親の介護は「個人や家の介護だけの問題から社会性を持った問題」として捉えられてきています。後期高齢者医療や介護保険、サービスなどの社会保障の充実化がそのあらわれです。                            介護を受ける身、介護する側の家族の考え方はそれぞれです。一生在宅介護で家族に面倒をみてもらう考え、在宅介護が厳しくなった時点で施設に入居するパターン、自分から有料の介護施設に入って生活する方法などさまざまです。

私の母は認知症と診断され現在に至っています。以前母は、自分が生活することに不自由になったら介護施設に入居することを希望していました。そのための準備として近隣の施設を見て回ったこともありました。しかし、認知症が進行して、以前希望していた施設入居のことさえ覚えていません。ある程度身の回りのことができる身体状況のため、自分で生活できる意識だけはあります。自分が忘れっぽい状態になってきたことだけの認識はあるものの、医者から診断された「いつ徘徊してもおかしくないギリギリの状態」であることは母の意識の中には皆無です。認知症にはいろいろなパターンがありますが、自分が自覚していることとまわりがその生活ぶりを見て判断する状態とは大きな開きがあります。  まさに「自分は大丈夫だから」ということが、この認知症の恐ろしいことに気づかされます

私たち夫婦は子どもや親族の世話にならず、いざという時は介護施設に自分たちで入居して老後の生活を送ろうと決めています。少なからずそうした考えの方は多いと思います。ではそのタイミングを何時にするかということを考えた時、日常の身の回りのことができなくなり、生活することに不自由を感じてきた時というようにまだまだ漠然としたものです。問題は認知症になった時です。認知症の場合、多分自分は認知症になったという自覚、認識がないことです。この病気は静かに進行していき、自分が意識していない間に侵されていくものです。まわりがそのことを指摘しても本人ははっきりと認識していません。                                      そう考えた時、自分の意志で介護施設に入居することさえも忘れ、施設に入ることを拒み、結果として子どもや親族に世話になる状態も充分考えられます。夫婦二人の場合の時はまだ救いはありますが、一人になった時そうした状態は突然やってくることも想定できます。                                      では、どうしたら良いのかということになりますが、認知症になるならないに関わらず、又、生活に不自由を感じる感じないに関わらず、元気なうちにそうした施設(住居)に入居することも選択肢のひとつではないかと思っています。施設といってもいろいろなパターンがあります。永年住み慣れた自分たちの家というものに固執する気持ちもありますが、今では中高齢者用の24時間見守り体制の住居が多数あります。今後もそうした専用住宅も需要と供給のバランスから増え続けてくるでしょう。まだ先の話だろうとお思いかもしれませんが、今から気持ちの上でも準備することは母や義父母をみてきて感じることです。

単に子どもの世話にはなりたくないということではなく、子どもには子どもの人生があり生き方があります。それを阻害する気持ちはありません。               残る老後生活の社会化のためには、たぶん老人の主導があって、親がまず子や孫を対等な他者として突き放すことである。山崎正和(劇作家)「介護の社会化」より       ということを改めて感じます。老後も子どもと社交的な交わりをもって新しい家族関係が成り立っていけばいいのではないかと思います。