60歳からの現実(リアル) (35)

50代からの意識改革

自分を知り、等身大の自分を

 

先日図書館に行った時、雑誌棚に置かれている「The21」の表紙に目が留まりました。
そのキャッチフレーズは、「50歳から始めたいこと やめること」でした。

月刊誌・週刊誌などこのような特集は、50代からのサラリーマンを対象に定年後を見据えて掲載される記事です。こうした記事が掲載されるということは雑誌の需要からみて読者の関心が高いということでしょうか。
普段はほとんどこの手の雑誌を読むことはありませんが、「50歳から」という年齢に着目しました。

というのも、私も将来のことを考え始めたのがやはり50歳からでした。
60歳定年退職を期にすっぱりとリタイアする考えでアレコレとそのプランを練り始めた年代でした。
実際には57歳で早期退職したわけですが、遅かれ早かれ ”自分の判断で決意することが最も望ましい” ことだと、後になって確信に変わりました。

 

20210217_125411   20210217_125543

雑誌「The21」に掲載されていた「50歳から始めたいこと やめること」項目

 

「50歳から始めたいこと・手に入れるべきもの」

■仕事よりも健康や家族を大切にする価値観の形成
■自分を知り、等身大の自分を受け入れること
■手の届く新たな夢や目標を持つこと
■「会社の常識」は「社会の非常識」だという考え
■「家族、仕事、健康」の三つのバランス
・・・。

「50歳からやめること、手放すこと」

■組織の常識に従うこと
■会社の利害関係だけで成り立つ人間関係
■仕事だけを優先する価値観
■「こうあるべき」という理想像で自分を律すること
・・・。

 

60歳・65歳・70歳定年制というのは、あくまでも社会的に決められた制度です。
それは、社会保障制度や会社の都合で決まったものなんですよね。
もちろん年金や医療・介護などの老後の保障がささやかなものであっても、何らかの方法で社会的に一線を引く必要があるのでしょう。

定年が延びるとはいってもほとんどの場合は継続雇用(公務員は再任用)です。
会社は定年後もベテランの人材を生かすことを建前に、現実は役職定年、給与ダウン、配置換えなどによって今までと同じような労働力を低賃金に抑えて人件費削減につなげる目論見があります。

こうした構図が、今の現役世代にとって60歳以降の働き方としてわかってきているため、「50歳から・・・」という謳い文句になるのでしょう。
そして、今までの60歳完全定年(例えば団塊世代の頃)とは大きく変化してきています。
先に述べたように継続雇用で働き続ける、又は転職・起業などで働き続けることが前提になって「50歳から・・・」という提言とも受け取れます。

例えば、同じ会社に継続雇用で働き続けるのであれば、「50歳から・・・」の提言は本当に必要なの?という疑問が浮かんでくると思いますが、私はこの記事のように必要だと思いました。
というより、そうあるべきだと。

たとえ定年延長であっても60歳からの働き方(職位、給与、待遇など)は今までと大きく変ります。継続雇用はもちろんのことです。
このような処遇が変わったとしても、今までと同じようにカイシャで働き続けることが変わらないため、50代からそのまま60代に入ってからも何ら意識の変革が行われないまま過ごすことにつながるのではないでしょうか。
それは(意識の変革がないこと)、私の同僚や先輩をみても明らかでした。
60代になって働きながらじっくりこれからのことを考えればいいという想いもあるでしょうが、現実は今の安定した仕事に流されそのまま年月が過ぎていくことになりかねません。

社会的に決められた定年制があることからそれまでは働き続けて、その後のことはそれから考えればいいということでははっきり言って遅すぎるということです。

常に ”受け身” として過ごすことと、自ら ”能動的” に考え行動するのとは雲泥の差があると思います。

それは、
■定年退職(60歳)が近づいてきたから、とりあえず継続雇用で働き続けよう。
■定年退職を期に自分はどのように生きていこうか。たとえ継続してもその時の生き方・過ごし方はこんな風にしていこう。

この2点の思い考え方の違いでその後の人生は大きく変っていくことなんです。

 

私たちは長年カイシャで働き続けキャリアを積んでいくことでそれなりの職位を得ます。それはそれで自身の努力と能力アップがあってこそのものだと思います。
しかし、それはあくまでもそのカイシャ内のことであって、一歩社会に出た時にそれ自体がその人の人格や能力の高さを評価するものでないということがわかります。

問題は、過去の実績から過度な自己評価をすることで誤った自分を形成させていくことです。
結果、「アイデンティティの喪失」だとか「いつまでも過去にとらわれる」ことにつながりかねません。

 

20210217_125601   20210217_125518

 

今回の特集にあった「50歳から始めたいこと、手に入れるべきもの」にあるように、

自分を知り、等身大の自分を受け入れること、健康や家族を大切にする価値観の形成、手に届く新たな夢や目標を持つこと・・・、に切り替えていくことが、これからの人生に役立つものだと確信しています。
素直に自分を棚卸して自分を知ることで次への一歩が出やすくなるように思います。

だから「50歳から」ということが大切なキーワードになると思います。
又、「60歳から」でも遅くはないと思います。それは前述したように ”受け身” から ”能動的” な考え行動を持つことで意識改革されていくでしょうから。

私は今年65歳になります。
早期退職以降あっという間の時間でした。少なからずやりたいことはやってきましたが、まだまだという感です。
70歳まで「あと5年」、75歳の後期高齢者に達するまで「たった10年」の歳月です。

「まだ5年ある、まだ10年ある」と思っていたら、残念ながら何もできない人生になってしまうでしょう。

3 thoughts on “60歳からの現実(リアル) (35)

  1. すーさん
    お元気そうでなによりです。
    いつも多才な生活を拝見し、関心するやら憧れるやら、楽しく拝見しています。
    50歳からのギアチェンジですが、私の場合、サラリーマンでしたが、50歳
    前半に転籍し、子会社ですがまったく別の線路を歩きました。
    結果、ものの見方と人生の見直しを経験し、よかったかなと思っています。
    あのまま、定年まで同じ会社で線路を進んでいるとどうなっていたかと思うと
    少し背中が寒くなりますね。
    会社関係の人間関係だけで、定年後を生きていると思うと頭がおかしくなるかな
    と思います。

    あと2か月で65歳前期高齢者の仲間入りですが、高齢者って何?と思う今日
    この頃です。
    単純な年齢で人を区分するのではないなとよく思います。

    若いころ?は、「やりたいこと、やれること、やるべきこと」の区別を徹底的に
    教育されてきましたが、今は、やりたいことをマイペースでやることに集中できる
    ので、これが一番の違いと思っています。
    日曜日に明日の仕事を考えないで、時間の制約から解放されるのも、いいですね。
    高齢者、バンザイです。
    ご活躍の記事を楽しみしています。

    1. あらちゃんさん

      >50歳前半に転籍・・・別の路線

      人生のひとつの大きなキッカケになったんですね。その転機がその後の生き方を変えたことはとても良かったと思います。
      特に50歳という年代の時は、一度立ち止まって今までの事やこれからの事をじっくり考えることが大切なように思います。
      がむしゃらに60歳まで突っ走ってしまうと、却ってその先が見えなくなってくるのでしょうか。

      >「やりたいこと、やれること、やるべきこと」

      あ~なるほどな~と思いました。
      「やるべきこと」はもうこの年代では必要ないですよね。又、「やれること」も初めから限定しまうといろいろなことにチャレンジができませんよね。
      その点やっぱり「やりたいこと」を重点において、そこから始まていく生き方のほうが道が開けていくように思います。
      そこに新しい発見や生き甲斐というようなモノが生まれてくるのではないでしょうか。

      あと二ヶ月で65歳ですか。同年代ですね。
      共に楽しい人生送っていきましょう。

      コメントありがとうございました。

  2. すーさん
    またまた、PCをリセットしたので、ネームが消えていました。
    すみません。あらちゃんの投稿でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。