60歳からの現実(リアル) (11)

小説「終わった人」

自分を見つめ直す時・・・

 

私のブログシリーズの「60歳からの現実(リアル)(9)」のコメント欄に、読者のnorthsnow20さんから小説「終わった人」の紹介がありました。
著者は内館牧子さんで、はじめて聞くタイトル名でした。

最初はラジオ深夜便で作家本人がこの小説について話しているのを聞き、近くの図書館で借りようとしました。
待ちのリストが何十人、隣の市の図書館でも何十人が待っていたので、amazonで購入しました。
退職して「終わった人」の世界に入る準備のガイドとして参考になりました。
一読してみてください。
northsnow20さんからのコメント

せっかくご紹介された本で、私も興味が沸いたので早々近くの図書館に出かけました。
人気のある小説のようで最初から予約を入れようかと思いましたが、一応、内館牧子の書籍棚を調べてみました。
案の定「終わった人」は見当たりません。
受付カウンターに出向き予約状況を聞いてみました。これがなんと85人待ちでした。
予約は諦め、帰りに近くの書店に寄って購入しました。

こんな小さな図書館であっても、これだけの人が待っているということは、60代を迎えた多くのシニアの方々が関心を持っているんだな~と思いました。

 

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この小説のあらすじについては、関連資料のコメントをそのまま引用します。
大手銀行の出世コースから子会社に出向、転職させられ、そのまま定年を迎えた田辺壮介(主人公)。
仕事一筋だった彼は途方に暮れた。妻は夫との旅行などに乗り気ではない。
「まだ俺は成仏していない。どんな仕事でもいいから働きたい」と職探しをするが、取り立てて特技もない定年後の男に職などそうない。
生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける男に再生の時は訪れるのか?

この小説は、私の今までのブログ「60歳からの現実(リアル)」シリーズで、特に(7)~(10)の中で記述してきた内容やキーワードが全て入っている物語でした。
団塊の世代に限らず、60歳を迎えた人は、”生き甲斐”や”居場所”について考える世代なんでしょう。
タイトルの「終わった人」を直訳すれば「そこまで」という意味が浮かびます。
そして、「そこまで」を裏返せば「これからは」ということが見えてきます。
問題は、その切り替えがスムーズにいくか、いかないかということだと思います。
うまくいかかなければ「惑い、あがき」につながっていくのでしょう。

前回のブログの堺屋太一氏の言葉を借りれば「棚卸し」(今まで歩んできた人生の棚卸し)ができているかということがポイントなんでしょうか。

物語の中の一文に
多くの場合、夫が家計の柱になる。身を粉にして家族を養い、やっと「終わった人」として家にいるようになると、邪魔にされる・・・。
男にとって、会社勤めと結婚は同じだ。会社では結果を出さない人間は意味がないとされ、追いやられる。
家庭では年を取ると邪魔にされ、追いやられる。同じだ。

この文面を読めば「そうなんだよな~」と相槌を打つ男性が少なからずいると思います。
そして、これらのことは、定年退職に関連する資料、雑誌、TV、ネットなどでもよく見聞きします。
「夫が家計の柱」「身を粉にして家族を養う」という文言は、たしかにかたちの上ではそうだったんでしょう。
しかし、問題は、そうした過去の実績の上に胡坐をかいているばかりでは「過去に生きる人」だけの存在になってしまうのではないでしょうか。
夫が働き続けることができた背景は、この文言の中にはありません。
つまり、堺屋氏が言う「棚卸し」(今まで歩んできた人生の棚卸し)が全くできていない状態で次のステージ(退職後)に入っていくことになります。
働き続けてこられた背景には、それを支えてきた妻や家族の存在があるということが抜けています
自分だけが「柱」「身を粉にした」と思っているのであれば、その先には「惑い、もがき」が待ち受けているのでしょう。
そうした夫(男)に、「ほんとうにそう思っているの?」と問いただせば、「それは分かっているよ」(妻が支えてきてくれたこと)とサラリと返答してくるでしょう。
問いたださなければ返答をしない夫だとすれば、実は「この人は何も分かっていない、何も気づいていない人」なんだと言えるような気がします。
このことが、まさに「棚卸し」ができている、いないということなんだと思います。

もうひとつ、「結果を出さない人間は意味がない」という考えをお持ちの人(小説ではメガバンクの部長だった主人公)は、これもまた全く「棚卸し」ができていないのではないでしょうか。
結果を出す出さないに関わらず「意味のない人間」は誰一人いません。
そうした考えで今まで仕事に関わってきたのであれば、そういう考えお方は、その結果(退職後)「邪魔にされ、追いやられる」存在になるのでしょう。
言い換えれば、今まで自分が蒔いてきた種が、そういう結果をもたらしたものなんでしょう

以上のことは、全て小説の中の物語のことですが、私たち60代にとっては自分を見つめ直す時なのかもしれません。

 

「好きなように生きよ」の意味

 

日本人男性の平均寿命は80歳、女性は87歳です。
男性の場合、継続雇用を終えた年齢は65歳になります。平均寿命まで残り15年です。
この15年を長くみるのか、短くみるのか、人それぞれだと思います。
俺はまだまだ現役だ、と言って働き続ける人もいるでしょう。これもまた人それぞれです。
共通していえることは、この年代(60代)を境にこれからどう生きていくか、過ごしていくかを決める時なんですね。

小説の中で主人公が思いを語る場面がありました。
「ああ、65(歳)でよかった」と思っている自分に気づいた。
平均寿命まで生きても。あと15年。たとえ社会的に葬られたところで、耐えられる。
もしも、三十代や四十代なら、この先四十年も五十年も、棒に振ることになる。取り返しがつかない気にもなるだろう。
先が短いということは、決して不幸とばかり言えない。
これから道が開ける年齢でないことに、俺は安堵を感じていた。

たしかに先が短いということは、決して不幸なことではないように思えます。
このことは、考え方次第なんですね。
残された人生をどう生きるか、自分で選択し実行できるんですから・・・、これが60代なんだと思います。

と同時に思った。
人生において、生きていて「終わる」という状況は、まさしく適齢でもたらされるのだと。
定年が60歳から65歳であるのも、実に絶妙なタイミングなのだ。
定年という「生前葬」にはベストの年齢だ。
あとわずか15年もやりすごせば、本当の葬儀だ。
先が短いという幸せは、どん底の人間をどれほど楽にしてくれることだろう。
いや、その幸せはどん底の人間でなくても、60過ぎにはすべて当てはまる。「先が短いのだから、好きなように生きよ」ということなのだ。

60歳から65歳定年は、こうして言われてみれば、たしかに適齢なのかな~と思います。
「終わった」という意味は、「これから」という意味や希望につながります
「好きなように生きよ」というのであれば、「好きなように生きようじゃないか」と思えばいいんですと・・・。

「好きなように生きよ」と言われてもな~、どのように生きたらいいのかな~、思ったりします。
人は一人で生きてきたわけではなく、これから一人で生きていくこともできません。常に社会という組織や人間関係を保ちながら生きていくわけですから。
ここで言う「好きなように生きよ」という意味は、「残りの人生はすべて自由だ!、思うがままに生きよう!」という直接的な解釈ではなく、その裏には前提があると思います。
それは、前述した「今までの人生の棚卸し」の上に立ったものではないでしょうか。
それがなければ、「好きなように生きる」ことは難しいものだと思います。

又、自分の人生の棚卸しをして、いよいよ「好きなように生きる」スタート地点に立ったとしても、人生なかなかうまくいきません。
この年代になれば、自分や妻の病気、親の世話(介護)、独り立ちしない子ども、シングルマザーなどとそれに関わる経済的な負担の諸事情・・・。いろいろな問題を抱えながらのスタートになるかもしれません。
これもまた人生なのでしょうか。
大なり小なり今までなんらかのかたちで犠牲にしてきたものなんでしょうか
そして、その度に棚卸ししなければならない場面もあるかもしれませんが、そのことを行うことで前向きに受け止めていくことができると思います。
今回は、ちょっと哲学的な人生論になってしまいました(笑)
そういう私も退職してから、「何も分かっていない」「何も気づいていない」部分もたくさんありました。
自分の「棚卸し」ができていなかったんだと思います。

小説「終わった人」の物語は、私も含め読み手側(読者)の家庭や仕事環境など全く異なるものですが、内館牧子さんが言わんとしている60代の悩み、苦悩、そして、「終わった人」から「これからの生き方」を示唆してくれるものだと思いました。
このことは、堺屋太一氏の小説「団塊の世代」3部作シリーズの中で言われていた、「職縁社会」から「夢縁社会」、「人生の棚卸し」にも共通するものがありました。

次回は、小説「終わった人」の中に出てくる「60代は空腹なのだ」ということについて考えていきたいと思います。

つづく

 

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