村山古道をたどる2泊3日の山旅
駿河湾の海抜0mから3776mの頂へ
7月11日、59歳の誕生日に海抜0mから富士山登頂を達成しました!
「いい歳してよくやるよー」な~んて言わないでください。達成しても何も得しない熟年オヤジの小さな小さなロマンです。
昨年4月、田中陽希さんがはじめた「グレートトラバース・日本百名山一筆書き」で最初に登頂した宮之浦岳がキッカケでした。この登山は、屋久島の海抜0mから頂上を目指すものでした。そして、更にサイトで知り合ったブログ「一日の王」のタクさんが達成した富士山ゼロtoゼロの記録に感動し、チャレンジする引き金になりました。
ちょうど一年前の7月頃から準備にとりかかりました。海抜0mからの登頂のしかたはいろいろなルートがあると思います。その中で「村山古道」のことを知りました。江戸時代の頃、修験者だけでなく一般庶民も「登拝」(とうはい)するようになり、この村山古道が主な登山道だったようです。駿河湾の田子ノ浦から歩きはじめ、富士山の麓にある村山浅間神社を経て、現在の新六合目まで至るコースです。
その後、新しく登山道が開発されてからは、この古道はすたれ廃道になりました。
しかし、10年ほど前から古道の復元活動が地元有志の間で行われ、その中心になった方が畠堀操八氏です。
(「富士山・村山古道を歩く」の著者)
昔、先人たちが歩んだ古道をたどりながら登頂してみたいという想いがつのりました。
田子ノ浦海岸からのスタート
9日早朝7時田子ノ浦、あいにくの小雨が降る中、海水に足を浸けていざスタート。
晴れていればこの海岸から富士山が見えますが残念です。
海岸に向かう途中に「富士塚」があります。昔、富士山への登拝をする前に海岸の石を拾って、この富士塚に石を置いて安全祈願をしたそうです。この場所が起点になるようです。
「富士市」の取り組みで案内板と歩道にプレートが敷かれています。
この村山古道は、旧東海道と一部重なっています。市街地に入る前にルートの確認です。
この地図は、畠堀操八氏が作成した村山古道全図です。(一部1000円)
道しるべや分岐でのポイント、史跡などの紹介が記載され、古道踏破するには必要なガイドです。
広重の浮世絵で有名な「左富士」の史跡と平維盛軍が敗走した平家越の碑
旧東海道は、現在の吉原商店街を通っています。途中、横断歩道を渡り路地に進んで行きます。こうしたプレートがないと、小さなガイド地図だけでは見落としてしまいます。
消火栓、下水溝のマンホールのふたにも富士山が表現され、富士市の富士山に対する意気込みが伝わってきます。
繁華街から郊外へ進んでいきます。この辺りからゆるやかな勾配になってきます。
今回はじめて三脚による自撮りをしてみました。一人旅の時には便利ですね。
地図上のポイント地点に「岳陽歩道橋を渡ってすぐ右下に下る」と記入されています。
実際に現場と地図を見合わせ確認しながら進んで行きます。これもまた面白いものです。
高度計では標高110m。あと3660mだ~。道しるべ1「左むら山道」
さて? 案内板とガイド地図では進み方が違います。地図は2012年改訂版で、その後第2東名高速の開通に伴い周辺の道路事情が変わりました。地図上の畑の中を通る道はすでになく通り抜けできませんでした。こうしたことも実際に現場に行ってみないとわからないものですね。
住宅地を抜けて茶畑が広がってきます。
村山浅間神社14時30分着。約24Kmの行程でした。今夜の宿泊地は、神社の隣にあるスポーツ専用合宿所の「村山ジャンボ」です。通常では単独の宿泊は難しいようですが、翌10日に浅間神社で開山式があり、その関係者が宿泊するということで泊まることができました。
第一日目、海抜0mから村山浅間神社までの間、富士山に関わる歴史や文化に触れることができた旅でした。
二日目は、いよいよ本格的な登山道を新六合目まで登るアクティブな山旅になりました。
又、宿泊先での登山者との出会い、開山式に伴う地元テレビの実況放送に遭遇したことなど充実した一日になりました。
「富士山」 つづく