南九州の山旅 (7) 鹿児島観光

南国漂う薩摩の国

幕末から明治維新の面影

 

鹿児島といえば、やはり江戸時代から明治にかけて「薩摩藩」のイメージが強いです。
特に幕末から維新にかけての存在感は強烈な印象を残しています。
この地に立った時、当時政治の中心であった京都への道のり、又、維新後の江戸(東京)までの距離を考えると途方もない遠隔地であったことが実感できます。
そんな道のりを経て政治に関与していった多くの藩士たちがいたことを思えば驚きです。

私は今回羽田から飛行機を利用しました。時間にして1時間20分。
帰りは鹿児島空港を離陸して1時間ほど経った頃、機内アナウンスが「着陸態勢に入ります」の案内。普段空路の旅に慣れない私は「えっ、もう羽田なんだ!」と。
薩摩から政治の中心地までたったの1時間強。あの時代は徒歩で数週間?、船を使っても数日?、当時の藩士たちのエネルギーは凄まじものだと改めて思いました。

鹿児島市内の至る所にその時代の面影や藩士たちが活躍した歴史が今でも伝えられていました。

 

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市内にある西郷隆盛大久保利通の銅像

 

 

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鶴丸城(鹿児島城)

薩摩藩主島津家の居城だった鶴丸城跡。この城の背後には城山(標高107mの丘)
西南戦争の際に、最後の激戦地となったことで知られる。城門を入った石垣には当時の無数の弾痕(砲撃痕)がありました。

 

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市内中央を流れる甲突川と「維新ふるさと館」
この川沿いには観光交流センターがあり、”歴史ロード維新ドラマ道” として整備されていました。

 

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路面電車が走る大通りにも藩士の銅像、市内を走る観光バスにも幕末・維新の宣伝が。

 

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鹿児島市内最大の繁華街「天文館通り」

このアーケード通り周辺は、路地裏に至るまで飲食店や居酒屋でひしめき合っていました。
昼間は観光客や買い物客、夜は酒場エリアになって一日中賑わっていました。
私が連泊したホテルはこの天文館にあり、鹿児島名物グルメの食べ歩きにはもってこいの場所でした。
※グルメについては次回ブログでご紹介します。

 

薩摩半島ドライブ

 

薩摩半島の最南端にある開聞岳は、鹿児島市内から約70kmの道のり。指宿スカイランを使って南九州市と指宿市をドライブしました。

 

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スカイラインの途中には鹿児島湾と桜島が眺望できる展望台が数か所あり、鹿児島のシンボルはどこからでも見られました。
指宿市に入るとその光景はガラリと変わり南国漂う感じ。

 

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車を走らせているとビニールハウスのマンゴー農園(「マンゴーの森」)が目に入り立ち寄ってみました。
マンゴーといえば宮崎が有名ですが、ここ鹿児島においても栽培している農家があるようです。
高級な果物なので普段めったに口にすることはありません。鹿児島土産として生マンゴーとプリンを配送手続き。

 

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このマンゴー農園から車で5分、広大な畑の中にポツンと「西大山駅」、ここはJR日本最南端の駅だそうです。
改札もなければ駅員もいません。狭いホームがあるだけでしたが、駐車場だけは十数台のスペース。
鉄道ファンにとっては有名な駅のようです。私は鉄っちゃんではありませんが、せっかくここまで来たのだからと立ち寄ってみました。夕方4時にもかかわらず、観光客と思われる人たちが続々と!
周囲は遮るものがないことから開聞岳がスッキリと見ることができました。

 

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指宿 砂むし会館「砂楽」

西大山駅から車で20分、あの有名な「砂むし温泉」に立ち寄りました。
開聞岳登山の後ということで、砂むし温泉でしっかり汗をかきスッキリしました。初めての体験でしたが、思ったより砂が重たく意外と熱かったです。時間にして10~15分。この後は施設内の温泉で砂・汗を流しました。
砂むし+浴衣+温泉入浴で1300円。

 

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「知覧特攻平和会館」

鹿児島に来たらぜひ立ち寄って見たい場所でした。
南九州の山旅の最終日、朝から雨が降る中、鹿児島市内から車で1時間。静かな丘陵地に平和会館がありました。
館内は撮影禁止、入口の零戦展示室までは撮影可能でした。

一歩中に入ると、多くの特攻隊員の顔写真と出身地、年齢が記された額が目に飛び込んできました。その展示内には最後となった手紙やハガキも掲示されていました。
一人一人のその文章を読むにつれ涙が出てきました。先に進むことができないほど、ただ立ち尽くすまま震えてきました。

今、ロシアのウクライナ侵略に乗じて、自民、公明の与党をはじめ日本維新の会や国民民主党から、軍事費の大幅増や「敵基地攻撃能力」の保有など、大軍拡を求める憲法破壊の動きがあります。
具体的には、11兆円を超えることになるGDP比2%以上を念頭に置いた軍事費増、「専守防衛」の定義の見直し、「核共有」に関する議論の開始など・・・。
「力には力」という考えは絶対に平和を維持することはできません。先駆的に軍事力の放棄をうたった日本国憲法、そして憲法九条を生かした平和外交こそが今ほど強く求められていると思います。

平和会館を訪れて、過去の歴史からしっかりと学ばなければならないと改めて実感しました。

 

「南九州の山旅」 つづく

次回は鹿児島グルメです。

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