「常温社会」

現代日本人の社会心理

「不満はないが不安はある」?

 

学術会議任命拒否問題は、国会審議の中で益々矛盾が深まるばかりです。
「総合的・俯瞰的」?、「多様性確保」?・・・、何かよく分からない抽象的な言葉が発せられ、結果として「正当化」論が破綻したように思えます。
そして最後は、「人事に関することでお答えは差し控える」発言を連発!?

国の最高決定機関という国会でこうしたことがまかり通ること事態異常なことではないでしょうか。
このような状況は、多数派を盾に今まで安倍政権が何度も繰り返し行ってきたことが引き継がれています。
集団的自衛権の閣議決定から安保法制、秘密保護法、共謀罪など違憲の立法を強行採決、その他モリカケ問題や桜を観る会、検察官の人事介入・・・。

「これは異常なことだ!」と思われていたことや許されなかったことが、安倍政権7年8ケ月の中で「また何かやっているな~」という感じで疑うことや批判することさえ諦めムードが漂っています。
諦めムードというより無関心というところまで広がってきているように思われます。

アメリカでは大統領選挙でバイデン氏が勝利し、次期大統領に選任されるようです。
両者の選挙戦では、具体的な政策論議がなされず相手を罵倒する発言や誹謗中傷する様子がTV中継されていました。
こうした状況を見て日本のワイドナショーやニュース番組のコメンテーターが、
「日本では考えられないことだ、こんな選挙戦はない」
「アメリカ国民でなくてよかった。アメリカに生まれなくてよかった」

など、日本の選挙戦との比較について話していました。
確かにそのとおりで多くの日本国民はほぼそれに近い考えや感情を抱いたのではないでしょうか。

しかし、よくよくこの選挙戦の様子や中身をみると、それぞれの支持にまわった有権者の人たちの発言は、具体的な政策に基づいて行動していることがわかります。
例えば、移民問題、人種差別と労働問題、ジェンダー問題、銃規制、貧富の差(社会保障)・・・。
一人一人の有権者が何らかの問題意識を持ち、それに向けての打開策を切実に訴える行動を起こしていることです。
それぞれがしっかりした主張があり積極的に政治に参加している姿があります。
このことはアメリカ以外でもヨーロッパ諸国にも通じるものがあります。

日本とアメリカ、それぞれの国の長い歴史と政治・文化、習慣はまったく異なります。
そういう意味では、”その国の社会” を同一に考えることはできません。

日本には、特に移民、人種差別、銃問題はアメリカと比べほとんど存在しません。
島国という狭い国土の中では他国からの移民や侵略はなく、外部からの影響で ”直接身に迫るような危機感がなかった国” です。
こうした風土・習慣から ”現状を打開する” という考えよりも ”現状を維持する” ことの方に重きをなす気持ちが働くのかな?と思ったりします。

 

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先日、政治・社会経済に関する講演会「文庫カフェの会」セミナーに参加しました。
今回は寺島実郎氏の講演でお話を聞く機会があり、著書「日本再生の基軸」(岩波新書)も読んでいきました。
寺島氏の講演と著書の中に「常温社会」という言葉が何度か出てきます。
この言葉は、博報堂の生活定点観測(生活者の意識・価値観)から出てきた言葉のようです。

日本の ”失われた20年” という激動の時代を経て、2010年前後から生活者に「この先は良くも悪くもならない」という認識が広がってきていることがわかりました。
生活者は、社会や時代に必要以上に熱く怒りを感じることも、悲観して冷え込むこともなく、現状を静かに受け止め、身の周りに幸せを感じながら暮らしています。ありのままを快適とする生活者の心情を、「低温」ではなく、「常温」と捉えました。
「常温」を楽しむ社会では、人々は自分自身の今を大切にし、現実的に自立した生活をしているようです。
博報堂生活総合研究所HP

この「常温社会」という現象が正しいとか間違っているということをウンヌンするつもりはありません。
なぜならあくまでも生活者調査(定点観測)から得られたひとつの傾向というだけですから。

現代日本の社会心理は「不安を内在させた小さな幸福への沈潜」ともいえる。多くの人がうつむきがちにスマホを見つめ、休日には全国に3500を越したショッピング・モールに行って小さな幸福を享受するライフスタイル、常温社会へと引き寄せられている。
こうした状況は、ある意味では幸福な日本の断章かもしれない。だが、これこそがケジメと筋道を見失う日本の温床になっていることもいえる。
「日本再生の基軸」

言われてみればそうした傾向があるのかもしれません。
こうした生活は今の日本でごく一般的に見られる光景であり、又、自分もこうした小さな幸福感を享受しています。
2010年前後といえば、リーマンショックの後に東日本大震災が起きた頃です。そして、その後安倍政権の7年8ケ月が続いた年月に当たります。

経済政策面ではアベノミクスなるものによって、日銀やGPIF(年金積立金運用管理法人)による異常なまでの株式投資や「異次元金融緩和」などでお金がジャブジャブ金融市場に出回りました。
経済成長の一つの指標になる株式市場では ”株高演出” が行われ、何か好景気感が訪れているような ”錯覚” に惑わされてきました。
この株式市場の多くの企業の筆頭株主が日銀でありGPIFということから、政府保証のお墨付き株価で大企業や一部富裕層の投資家、海外の企業と投資家だけが儲かる?利益を得る?結果になりました。
今や約90兆円もの公的資金が株価維持のため投入されているのが現実です。
株式を保有する日本の個人投資家の7割以上が高齢者層ということですから、多くの国民や若者はなんら恩恵はありません。

公的資金で株価を支え続けることは、ステロイドや抗生物質を投与し続けることと同じで、自分で生きる力を失うのである。日本の実体経済はアベノミクスの7年間、水面ギリギリで推移してきたのに、株価だけが「根拠なき熱狂」を続けてきた・・・。
気が付けば、日本のGDPの世界比重は、平成が始まる前の1998年の16%から、2018年には6%にまで下落した・・・更に1.8%までに埋没するという。
株高幻想に依存し、危機感なく迷走してきているところにコロナが襲っているわけで、コロナが問題の本質を炙り出したということだ。
寺島実郎の「時代認識」資料

 

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世界のGDPシェアの推移と株価の推移
日本のGDPシェア:1988年16% 2000年14% 2018年6%

 

コロナ禍が問題を炙り出した

こうした状況の中、はっきり目に見えないかたちで水面下で進行してきたのが「格差と貧困」問題でした。
好景気感?と言われることとは裏腹に、この間勤労者の可処分所得が年間47万円減少、消費支出も年間40万円減少してきました。
又、非正規雇用は4割近く増え続け、ワーキングプア(年収200万円以下)といわれる人口は1927万人に達し全雇用者の32%だそうです。(2019年)

経済界では空前の利益を上げたといってもその恩恵は国民や市場にはまわらず、全てが大企業を中心に内部留保として貯め込まれました。その金額がなんと500兆円を超えるということですから驚きです。

格差と貧困が水面下で進行する中、こうした錯覚としての好景気感が、上記の「社会や時代に必要以上に熱く怒りを感じることも、悲観して冷え込むこともなく・・・」といった状況になっていったのでしょうか。

そして更に「市場原理至上主義」ともいわれる ”新自由主義” の考え方が浸透し、すべてが自己責任の社会になりつつある意識が植え付けられていった7年8ケ月でもありました。
※市場原理主義:低福祉低負担、自己責任をベースとし、政府が市場に干渉せず放任する思想的立場。

8時間働いてもまともな生活が出来ないのは自己責任なのでしょうか?、正規社員になりたくても出来ないのは自己責任なのだろうか?、働いてもお金が貯まらず結婚さえもできないのも自己責任なのか?
そういう風潮がより分断を生んでしまう社会(あくまでも個人に責任がある)になりつつあることで、本質(本当の問題点)が見えなくなる、見えさせない社会構造があるのではないでしょうか。

こうした問題は、まさにコロナ禍の中で炙り出された感があります。
今までの医療・介護現場などへの社会保障予算の削減、ウィルス研究や保健所体制・設備の縮小などにその問題が噴出しました。
又、経済面や私たちの生活面では中小企業の倒産続出はじめ、非正規雇用全体では120万人も職を失ったと報道されていました。

「格差と貧困」が横たわる社会の中、そこにコロナが襲いかかり、緊急事態で「経済が止まる」ことのしわ寄せはまず社会的弱者に向かうのである。
同資料

GoToトラベルとGoToイートで各観光業界や飲食店などへの支援対策も打ち出されていますが、これらを利用する国民は一部に過ぎません。

 

先の「常温社会」の話に戻りますが、

「日本の行方は、現状のまま特に変化はない」と考える人が、2008年の32%から2018年の56%へと24ポイントも上昇しているごとく、全般に「先より今」「期待より現実」「公より私」(イマ・ココ・ワタシ)という価値観が浸透してきている。
内閣府の「国民生活に関する世論調査」においても、「現在の生活に対する満足度」は75%と10年前に比べ14ポイント上がっている。「不満はないが不安はある」というのが現在の日本人の心理なのだろう。
寺島実郎著「日本再生の基軸」

今回のアメリカ大統領選に見られた有権者意識を比較してみると、候補者同士の罵声や誹謗中傷は別として、日本の選挙戦と異なりエキサティングな発言や行動が見受けられました。
日本のように ”直接身に迫る危機感がない社会” では、”将来に対する不安はあるものの特に不満がない” というところに落ち着いてしまう傾向があるのでしょう。

もちろん、非正規雇用やワーキングプア、シングルマザー、老々介護などで厳しい生活実態があるものの、それを問題として提起しない、捉えようとしない社会によって暗黙裡に閉じ込められてしまっている現実があるように思えます。
それは自己責任という風潮が底辺に流れていることも大きな要因があるのでしょう。

本来であれば、こうした社会構造に対して政治がしっかり関与し対応していかなければ解決できない問題だと思います。
経済活動は「市場原理主義」に任せ、あくまでも自己責任に押し込めてしまう風潮は、菅首相の「自助、共助、公助」という発言でもわかります。

常温社会がどんなに快適であっても、結局は国民を不幸にする時代を招来することになりかねない。
予想される激流の中で、民主主義を守る連帯が必要なことに、日本人が自覚を高めうるのか、それが試される局面を迎えている。

「日本再生の基軸」

常温社会は、それはそれとして一つの平穏な生活の証なのかもしれませんが・・・。
一方では、様々な問題を内に秘めながら生活している実態をもっと明らかにしていく必要があると思います。
そのためには、政治への諦めではなく常に関心を持ち続けることが大事なことではないでしょうか。

寺島氏の言う「自覚を高めうるのか」が、やはり試される局面にきていると思います。

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