ぶらり街歩き ~ 新宿3丁目

昭和の新宿と青春の思い出

 

「学徒援護会という、時代を感じさせる施設が、昔、下落合にあった。いかにも古臭い場末の馬券売り場のようなホールと4辺を覆う掲示板と正面の電光板。西武線の駅を降りてとぼとぼと歩きだすと、それっぽい服着たどうみても垢抜けない男子学生の群れが同じ方向を目指している」
(ある個人ブログから引用)

学徒援護会というと何か戦争に駆り出される学生たちを思い浮かべますが、戦後の混乱期に国の補助を得て学生支援の事業を行った「財団法人学徒援護会」の東京学生会館を指します。
この会館は、地方から東京の大学に進学してきた学生のためのいわゆる「学生寮」です。一般的には、アパートを借りたり、個々の大学が運営する学生寮に入って大学生活を送りますが、ここは、東京都内の全ての大学に通う男子学生を対象にした寮です。
特徴的な点は、格安であったこと(当時月額800円)とアルバイトの斡旋所が併設されていたことです。(上記引用の、4辺を覆う掲示板と電光板がアルバイトの情報版)

 

学徒援護会

昭和40年学徒援護会の東京学生会館として完成。平成元年「東京学生交流会館」と名称変更して、その後、平成19年に閉館したそうです。

今から40年前の昭和50年、この学生寮に静岡の片田舎から出てきた私は、父の勧めで入寮しました。
当時、各大学10数人ぐらいで40~50大学の学生たちが約600人程いた覚えがあります。寮の一室は2段ベット2つの4人部屋でした。同じ大学ごとの部屋でしたので各大学2~4部屋に分かれて住んでいました。入寮期間は、卒業するまで保障されていたため留年生も何人かいました。寮の食事(食堂)が安かったこと(定食100円前後)や交通の便が比較的良かったこと(西武新宿線 新宿駅から高田馬場を挟んで2つ目)更に、1階にはアルバイト斡旋所があり優先的に情報が得られたことなどから、貧乏学生にとっては居心地が良かった記憶があります。ちなみに私が入った部屋には留年を続けている「寮の主」がいました。実家からの仕送りは2万円でしたが、少しアルバイトをすれば充分やっていける生活を送っていました。
70年安保も下火になる頃でしたが、政治や経済(近経とマル経)をテーマに夜を徹して激論する学生もいれば、一方で無関心、ノンポリ学生も増えてきた時代でもありました。
又、当時流行し始めたディスコに通う学生もいれば、腰に手ぬぐいをぶらさげ下駄をはいて大学に通う学生もいた時代でもありました。

学生寮といえば、ご多分に漏れず先輩の洗礼をうけます。飲み会では、かけつけ三杯は当たり前で新宿の安い居酒屋によく連れていかれました。又、たばこは当時ショップ(ショートホープ)を吸っていましたが、先輩からハイライトを吸えと無理やり強要されなんと今もってオヤジの象徴であるハイライトを吸っています(笑)
この学生寮(西武線下落合駅)が新宿に近かったこともあり、学生時代よく遊びに出かけて行った思い出があります。社会人時代は、勤めが新宿方面でなかったこともあり、ほとんど立ち寄る機会がありませんでした。

先日TV番組の「出没!アド街ック天国」で新宿3丁目の街が紹介されました。題して「昭和の新宿」です。「昭和」という目線でみた時、懐かしいな~と、あの頃とあの時代を思い出しました。                                  早期退職以降、都内に出る機会はほとんどありませんが、たまにカミサンと一緒に浅草や谷根千などの下町をぶらり歩きしたりします。
そんなことで今回は、学生時代の思い出深い新宿を「昭和の目線」で行ってみようと思い立ち出かけてみました。                              新宿駅東口を降りて高野フルーツパーラー方面に向かって歩き出します。

 

紀伊国屋書店  桂花ラーメン

紀伊国屋書店は、当時と全く変わっていません。友人とよく待ち合わせした場所です。そういえばあの当時、早稲田通りや神田の古本屋街に行ったことを思い出しました。
桂花ラーメン店も変わっていません。当時九州とんこつラーメンは珍しかった覚えがあります。最初は独特な臭いで驚きましたが、次第に慣れてくるとはまっちゃいましたね。

 

DUG1  DUG4

DUG2 DUG3

当時、大学周辺にジャズ喫茶が何軒かありました。今ではほとんど見かけませんが、寮の先輩に連れられて新宿のジャズ喫茶にもよく行きました。暗い店内の中は、たばこの煙でモウモウとしていて、客は黙って静かに聞いていました。おしゃべりなんかできない雰囲気でちょっとでも音を出したら睨まれたりもしました。
最初は馴染めませんでしたが、通ううちに少しづつ引き込まれていき、卒業後社会人になってからもカミサンとのデートでナベサダのコンサートライブによく出かけました。
そんなことで場所の記憶を辿りながら探して、靖国通り沿いにDUGをみつけました。当時は違う場所にあったと思いましたが、40年ぶりに入ってみました。店内は相変わらず暗くアンティークな雰囲気がジャズに合っています。コーヒーを注文してハイライトを吸いながらあの頃の思い出が蘇ってきました。

 

アカシア1  アカシア2

たしかこの路地に洋食屋があったよな~と思いながら探したところ、アカシアがありました。カミサンと結婚した昭和50年代に一度来ました。ショーケースを覗くと看板メニューのロールキャベツがありました。あの当時、少し並んで待った覚えがあります。
今でも変わらず営業しているんですね。

 

末広亭1  末広亭2

エピソード
この末広亭には、結婚した昭和50年代に東京見物の義父母を連れて4人で来ました。
当時、落語会の第一人者であった5代目柳家小さんが出演するということで、楽しみにしながら出かけました。噺がはじまりしばらく聞いていると、突然楽屋に向けて怒鳴りました。最初何のことか分からず、これも噺の内と思って聞き続けていましたが、更にまた怒鳴ったことで会場が騒然となりました。いったい何が起こったのかと思っていたところ、実は、噺の途中で楽屋から裏方さんが「噺の小道具」を持ってくる手はずでしたが、忘れてしまったようです。肝心の噺ができなかったので怒鳴ったということでした。その後、小道具が用意されましたが、一度途切れた噺を続けることはできないと言ってお客様に丁重にお詫びしてから、”今の若い者は”という雑談をして終了しました。
何か損したような得したような複雑な思いをしながら後にしました。素人相手にゴマカシはきくと思いますが、名人といわれる落語家にあっては、お客様に対して完璧な噺を提供するというプロとして気持ちがあったと思います。これもまたいい思い出です。

 

どん底1  どん底2

学生時代、先輩に連れられてきた「どん底」。末広亭のすぐ近くにあったような記憶で周辺の路地を周ってみつけました。まだありましたね。

 

とんかつ1  とんかつ2

伊勢丹脇の路地にあるとんかつ専門店「王ろじ」。当時からとんかつで有名なお店でした。学生の頃は来ませんでしたが、社会人になって懐が温かくなってから来ました。

 

ガンジー1  ガンジー2

「王ろじ」のすぐ脇道を入ったところにあるカレー専門店「ガンジー」。昔からあった覚えがありますが、貧乏学生だったので入ったことはありませんでした。先日のTV番組で紹介されていたので入ってみました。チーズとトマトのカレーを注文しました。

 

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紀伊国屋脇の道を入った所のビルの2階か3階(写真:大黒屋)に当時「メキシコ」と言う店名の喫茶店がありました。学生の頃、何度か行ったお店でしたが、ある時、隣のテーブルに「西田敏行」が来てマンガ本を夢中で読んでいました。
40年前、当時はまだTVにチョイ役で出演して独特な風貌は覚えていましたが、名前すら知りませんでした。当然誰も見向きもしません。現在では有名な俳優になりましたが、そうした下積みの時代があったんですね。

 

思い出横丁1  思い出横丁2

新宿3丁目ではありませんが、ガード脇の「思い出横丁」です。ここも寮時代先輩に連れられてやって来ました。社会人になってからは、ほとんど立ち寄ることはありませんでしたが、多くのサラリーマンで賑わっていました。新宿で最も昭和のにおいが漂う一画です!

 

この後、用事で来た品川に出向き、帰りの山の手線は会社帰りのサラリーマンやOLで満員状態。
久しぶりに都会に出てきたリタイアオヤジにとっては苦痛の一言です。現役時代は、こうした混雑をあまり気にしませんでしたが、よくやってきたな~と思いました。
電車が渋谷に着くと、仮装した若者が大勢乗り込んできました。後で知りましたがハロウィンの仮装行列に参加した帰りだったようです。時代はいつも若者がリードしていますね。

「昭和を探す街歩き」いろいろな発見や思い出が蘇りました。これからも続けていこうと思います。

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