コロナウィルスと私たちの未来

コロナ危機~人類への「警鐘」

社会の在り方を考える時・・・

 

コロナウィルスの感染拡大が世界的な規模で広がってきています。

米国やヨーロッパ、そして日本などの先進国でも医療体制が間に合わない事態に陥ってきています。
更に、アフリカや発展途上国など医療体制が整わずその対応が全く出来ない諸国においても広がっていることを思えば、”世界的な危機” というものを深く感じざるをえません。

このような状況の中、様々な方策がとられていますが、振り返れば、人類が成長・発展してきた過程で ”人の命” ”人命優先” という考えと行動が疎かになっていたのではないかと思うばかりです。

今回の感染拡大をめぐり、米国の学者がある専門誌に意見を寄せた手記に目が留まりました。

「医療を後回しにして核兵器などに資金をつぎ込む社会で良いのか」という提起でした。

感染者が世界最多の米国は、ご存知のとおり世界最大の核兵器国です。
この手記では、米国の核兵器支出1年分だけで、集中治療室のベット30万5千を導入し、22万人超の医師や看護師の賃金をまかなえるそうです。
これだけの財源があればどれほどの人命を救えるでしょうか。

世界各国や日本においても、マスク、ベッド、人工呼吸器、防護服などが不足しているようです。
又、医師や看護師の不足はもちろん、過重労働も深刻な問題ではないでしょうか。
本来なら救える命が救えない事態に陥り、こうした状況を日本に限らず世界のメディアはその苦悩を連日伝えています。

人類が今まで経験したことがない事態が起きた時、「結果論として言いたいことが言えるんだ」というような低レベルの考えや議論をすることは無意味だと思います。
それは、”何ら方向性や結論を見いだせない不毛の議論” だからです。

私たちは今、コロナ危機をとおして、

”〇〇を後回しにして、〇〇などに資金をつぎ込む社会で本当にいいのか”

ということを真剣に考える時ではないかと思いました。

 

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核兵器も原発もしかり

 

2011年3月に起きた東日本大震災では、福島第一原発事故による放射能汚染問題がありました。
あれから9年経った今でも多くの被災者が避難生活を強いられ、損害賠償請求裁判も続けられています。

この福島原発については、2011年の事故が起きる36年前の1975年に、大気・海中への放射能汚染を問題視して第二原発設置許可取り消し訴訟裁判がありました。
この時の裁判でも地震による津波の影響が訴えられたそうです。

更に、1978年に福島第一原発三号機で臨界事故が起きていたことが、なんと29年後の2007年にその事実が公表されました。
こうした事故が長い間隠蔽されていたということです。

又、2011年の事故が起きる数年前に津波による防潮堤のことが国会でも審議されたようですが、これも何ら対応されずにきてしまいました。

これらのことは、結果論だけで提起されたものではなく、不測の事態を予測して人の命・人命優先を基本的な考えに置いて「警鐘」してきたものではないでしょうか。

不思議なもので、今まで政府は「経済優先」という政策を推進する一環として莫大な財政支出による原発設置や再稼働をしてきていますが、歴史的にみても実際は、”逆の効果” が生じてきたことがよく分かります。
「経済優先」はほんの一部の利益集団と組織だけのことなんです。

「〇〇に資金をつぎ込む社会で本当にいいのか?」ということを考えさせられます。

 

軍事費もしかり

 

2020年度の防衛費(軍事費)は、総額5兆3223億円と過去最大になりました。

自衛隊による自然災害地への救援や物資などの費用、不測の事態に備えた緊急時の食料や備品類、自衛隊員の人件費などは当然必要な費目として予算化されていると思います。

自衛隊員による被災地への命をかけた救援活動には頭が下がる思いがします。
被災者の救済やその後の生活支援・補助、破壊されたインフラの整備など大胆に財政投入していくことは必要なことだと思います。

しかし、一方で不必要な武器・弾薬などはどうでしょうか?
例えば、護衛艦「いづも」の空母化の改修費31億円、その改修艦に搭載するF35B戦闘機6機分の取得費846億円。
又、防衛省は、今後1機100億円以上もするF35A戦闘機を105機、F35B戦闘機を42機を軍事ローンで導入する計画です。
さらに購入した戦闘機のメンテナンス費を考慮すれば膨大な資金が投入されるわけです。

現在、沖縄県名護市では辺野古新基地が建設されています。
工期は約9年3ケ月、費用は約9300億円と発表されました。これらは全て私たちの税金で行われます。

防衛費にはこうした費用も盛り込まれ支出されます。
本当にこれでいいのでしょうか。

「国家防衛」という観点で議論すれば賛否両論ありますが、昨年11月に来日したローマ教皇は、「軍備の均衡」「核抑止力」論を真正面から否定したメッセージを残しました。

「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要がある」
「核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」
「戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造・保持しながら、平和について話すことなどどうしてできるか」

核兵器に限らず、国民の大切な税金で莫大な費用をかけている「〇〇などに資金をつぎ込む社会でいいのか」という問いかけはここにもあるのではないでしょうか。

 

一気に弱者への負担増

 

発達する資本主義社会では、世界中で「格差と貧困」が大きな問題として浮上してきています

国際NGO(オックスファム)は、世界で1年間で生み出された富のうち82%を、世界で最も豊かな上位1%が独占していると発表しました。
一方、経済的に恵まれない下から半分(約37億人)は財産が増えなかったとする報告がありました。

先日4/7日、米経済紙フォーブスから2020年版の世界長者番付が発表されました。
その首位は、米インターネット通販大手アマゾンの創始者で資産総額は1130億ドル(約12兆3000億円)だったそうです。

格差と貧困は日本においても急激に進み、相対的貧困率は上昇し続けています。
現在、非正規雇用の割合は4割近くまで達しています。その人たちの平均年収はフルタイムの男性で227万円だそうです。
又、非正規雇用で働いている人で年収が200万円以下のワーキングプアと呼ばれる人たちは、現在1100万人を超えています。

今回のコロナ危機による自粛営業から経営難で真っ先に解雇される人たちが非正規雇用者と報道されています。
同様に営業自粛中の零細企業や個人事業(フリーランス)の人たちも大変な思いをされていると思います。
毎日の生活費はもちろんのこと、各種社会保険料の納付も大きな負担になるでしょう。

このような緊急事態になった時、ぎりぎりで生活を送っている人たちに真っ先にしわ寄せがきます。
毎日テレビで放映されるニュースや新聞などの報道でもこうした状況を的確に浮き彫りにしています。

「弱者を後回しにして、〇〇などに資金を投入する社会でいいのか!」は、こんなかたちで明らかになってきたように思います。

 

補償なき自粛要請に怒り

 

国家の財源はすべて国民の税金で成り立っています。

直接税では所得税や県・市町村税、自動車税、固定資産税・・・、間接税では消費税、酒税、たばこ税・・・、そして法人税においても企業で働く人たちが稼いだ利益から納税しています。
つまり、私たち国民がすべて納税している財産なんです。

その財産は国家危機の時、”人の命” と ”国民生活維持” のために優先的に使われるべきものではないでしょうか。
「自粛と一体の補償」は基本原則であり当たり前のことです。

しかし、その当たり前のことができない政府の政策に怒りを通り越して呆れてしまいます。

「財源がない、少ない?」ではないんです。あるんです。
緊急事態の時にどのように使うかは国会で決めるものですが、実際は多数派を占める政権与党です。
その政府が「要請」という名のもとにすべて国民に負担を強いる方策しか打てないのでは、”人の命” と ”国民生活” を守ることは到底できません。

今こそすべての財政出動をはかって、この状況を打開していかなければならないリーダーシップが必要とされているのではないでしょうか。
予算はあくまでも予算です。緊急の予算編成と修正をすればいいんじゃないですか。
「〇〇などに資金をつぎ込む社会」を転換し、「緊急なところ、必要なところに財源をつぎ込む社会」にすることが今こそ求められていると思います。

大型公共事業投資予算もしかりです。
今本当に必要なんですか?雇用創出もあるかもしれませんが、感染拡大を防止することではそうした事業も難しいと思います。
延期して次年度以降に予算化すればいいんじゃないですか。
そうした国家投資事業費も国民救済資金に充てることができるのではないでしょうか。

テレビニュースや各種ワイドショーなどでコメンテーターが盛んに政府の対応の遅さやまずさを指摘しています。
中には声を荒げて批判する姿もたくさん見受けられます。当然のことだと思います。

日本と他国の政府(首相)との補償比較報道もありました。国によって様々な環境の違いがあり直接的な比較は難しいものがあると思いますが、それらを差し引いても多くの国民が現政府の対応に不満を持っている人は大勢いるでしょう。

 

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外出自粛の補償「30万円給付」、新たな給付基準で受け取れる人はいったい何人いるの?

今の時代、共働きがほとんどなのに「世帯主」の月収を基準?、減少に当てはまらない世帯はどうなの?、申請が複雑で分かりにくい!、役所に出向いたら感染リスクは?、出向かなければ郵送しなくちゃならないの?、給付は1回だけなの?・・・。

こうした個別の申請制ではなく、例えば、全国民を対象にまずは一人10万円単位の給付金を支給することや、会社で働く人たちの賃金・収入の最低8割を補償(各事業所の申請で給与として振込み)と個人事業者も同様の補償、各種税金・社会保険料納付期限に猶予ではなく「大幅な減免と納付猶予」など・・・、いろいろあると思います。
そして、これらの対応は1回限りでなく、コロナ危機が終息するまで継続して実施することが必要ではないでしょうか。
更に、終息後も融資は無担保・無利子を継続することなど。

政府の対応策として、「全世帯に布マスク2枚配布」?(通称「アベノマスク」)
テレビの街頭インタビューで働く女性が、この配布について話していました。
「休業補償をしてくれれば、家でマスクを何枚でも作れます!」と。
本当にそうですよね。政府の情けなくなるような対応に ”開いた口が塞がらない” 思いです。
その開いた口に支給されたマスクするんですか???

 

4/7日、政府は緊急経済対策として、「108兆円」の財政投入を発表しました。
しかし、中身をよくみると国が新たに直接支出するのは一般会計で16.8兆円にすぎません。
金融機関を通じた融資や、税・社会保険料の納付猶予を含めた金額のようです。
優秀な官僚の人たちが机上で足し算した金額なのでしょうか?

「世界最大規模の108兆円!」と自慢されているようですが、飾られた金額なんですね。
こうしたところにも ”ポスト真実” が見え隠れします。

※ポスト真実:政策の詳細や客観的事実より感情へのアピールを重視する世論形成の手法

 

今回のコロナウィルス危機は、私たち人類への「警鐘」として捉えても過言ではないと思います。
この危機をとおして、”今の社会の在り方を真剣に考える時” なのかもしれません。

「〇〇に資金を投入することは止めて、”人の命” と ”人命優先” に資金をつぎ込む社会」にしていくことが求められているのではないでしょうか。
そうした考えになれば、様々な不合理がハッキリ見えてくるように思います。

2 thoughts on “コロナウィルスと私たちの未来

  1. すーさん、今回のコロナの件は、国民全員が怒り状態ですね。
    私の住んでいる三重県のような田舎でも、少しずつ感染者が増えています。
    ほとんどが、東京から出張に来たとか、東京の子供に会いに行ったとか、
    現在の状況を理解しているなら、防げたかもと市民が思っています。
    それにしても、関東は大変ですね。
    お気をつけ下さい。

    私事ながら、同居している長男も正社員ですが、地元の小さな会社に
    務めているため、収入は派遣社員並みです。
    独身で同居しているので、生活はできますが、結婚して独立は無理な
    ようです。
    このような若者も決して少なくないのも、現実ですね。
    私たちの若いころと世の中は変わっています。

    今回の30万円の配布は、非課税所帯だと年金生活者も入ってしまう
    可能性があります。
    年金生活者は、何も収入が減っているわけではないので、本当に困って
    いる人に配分すべきではないかと思います。
    あっさり、当面、生き延びるための資金配布と言ってしまえば、食費と
    思って、理解が得られたのかもしれません。
    そして、すーさんの言うように、第2弾、第3弾と手を打つ約束をすれば
    ここまで、批判されることはなかったと思います。
    このあたりが、政治家と経営者の違いかなと感じました。

    休業補償にしても、本来は、利益に対する補償であるはずなのに、
    いつの間にか売上補償の話になっているのは、首をかしげます。
    赤字の会社でも、売上が半分になれば、補償されるのは、どうも納得が
    行かない面もあります。
    こんなことは、私だけが思っているかもしれませんね。

    まだまだこの騒動は続きますが、お互い気をつけて生活しましょう。

    1. あらちゃんさん

      コメントありがとうございます。

      >国民全員が怒り状態ですね。

      まさにそのとおりですよね。
      こうしたウィルス感染は誰のせいでもありませんが、その後の対応が一番大事なことだと思います。
      感染拡大を防ぐことはもちろんのこと、そのために休業しなければならない補償も必要なことだと思います。
      何のための政治なのか、誰のための政治なのか、そうした肝心なことが全く疎かになっていることに対して国民が怒りをあらわにしていると思います。

      現在、未婚の子どもが親と同居している世帯はかなり多いと聞きます。
      私の友人知人にも何人かいます。
      専門家の言葉で「パラサイトシングル」と言うようです。
      あまり使いたくない言葉ですが、こうした現象は今の歪んだ社会構造にあると思います。

      >私たちの若いころと世の中は変わっています。

      そのとおりですね。
      格差が広がり、ちゃんとまじめに1日8時間働いても食べていくだけでやっと、というような世の中は何か違う方向に向かっていると思います。

      休業補償は、あくまでもそれぞれの人たちの「所得補償」でなければならないと思います。
      生活を維持継続していくための補償は絶対に守るべきです。
      営業活動で利益の中から人件費(給与所得)が確保されます。売上が落ちても、今までのあるべき所得が補償されることが必要だと思います。
      でなければ生活できない状態に陥ってしまいます。
      最低限そこは国として支援(補償)すべきことではないでしょうか。

      ブログでも記しましたが、私たち国民は一人一人すべて納税者です。
      その納税者があってこそ国が保たれています。その納税者のために財源が使われることは当然のことだと思います。
      ちょっとキツイ言い方になるかもしれませんが、そのことが分からない政治家は代わっていただいた方がいいと思います。

      三重県でも少しづつ感染者が出ているようですので、ご家族の皆さんお身体に十分お気を付けてお過ごしください。
      貴重なご意見、コメントありがとうございました。

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