60歳からの現実(リアル) (28)

小説「あなたの人生、片づけます」

断捨離!~人の心を片づける?

 

4年前、母は地元のグループホーム(認知症施設)に入居しました。
同じ年に義父もサービス付き高齢者住宅(サ高住)に入り、今でも元気に過ごしています。
母は今年95歳、義父は100歳を迎えます。

私たちの年齢(60代~)になると親の介護に関わりを持つようになります。
そして、親がこうした施設に入居した後に残るのは、誰も住まなくなった実家です。
親が亡くなったり、施設入居した後に子どもが「家」を引き継ぎ、リフォームなどして暮らすことも一般的にあります。
そうした状況はその家ごとに様々ですが、ひとつ共通して言えるのは、親の「モノ」の処分なのではないでしょうか。

私たち夫婦は、この数年の間に親の「モノ」処分に関わる機会がありました。

母の場合、兄が用意した軽トラックの荷台に山積みの布団や座布団を市の焼却場に運びました。
又、細々した家財道具や衣類などは、家を引き継いだ義理の姉がリフォームに合わせ数か月かけて処分してくれました。

義父の場合、カミサンと義弟の3人で少しづつゴミの回収日に合わせて整理・廃棄しました。
こんなにもあるものなのかとため息をつきながらの作業は今でも忘れることはありません。
最後は、家の解体と一緒に業者に有料で処分依頼したほどでした。

そして、母と義父の入居した時の持ち物は、1%にも満たない量だったのです。
つまり、モノはあってもほとんどが使わないモノ、いらないモノなんですね。
「これが現実なんだ」と実感した日々でした。
と同時に、「あなたたち(自分たち)はどうなの?」と問いかけられる体験でもありました。

 

先日、垣谷美雨の「あなたの人生、片づけます」を読みました。

垣谷美雨といえば、私たちの日常生活の中でよく見られる光景を切り取ってリアルに表現した小説が有名です。
ユーモアを交えながらの日常会話が、読み手の心にストレートに入ってきます。
更に、物語のテーマが現代社会の問題を的確に描いていることから、「なるほど!」「そうだよな~」と相槌を打ちながら読み進んでしまうほどです。

ブログ:垣谷美雨著「定年オヤジ改造計画」

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この小説は、主人公の片づけ屋・大庭十萬里(おおばとまり)が、4家族(4話構成)の断捨離に関わっていく物語を描いています。

社内不倫に疲れた30代OL、妻に先立たれた老人、子供に見捨てられた資産家老女、一部屋だけ片づいた部屋がある主婦・・・。
「部屋を片づけられない人間は、心に問題がある」と考えている片づけ屋・大庭十萬里は、原因を探りながら汚部屋を綺麗な部屋に甦らせる。
「あなたの人生、片づけます」あらすじより

当初、私はこの小説のストーリーが、片づいていない部屋を綺麗にしてあげる物語だと思っていましたが、読み進むにつれて「そうではない?」ということに気づきました。
というのは、片づけをしてその時は綺麗になっても、時間が経てばまた元の片づいていない部屋に戻ってしまいます。
主人公本人が直接片づけという作業にタッチしないで、その住人が進んで片づけをするように仕向けていく「心の片づけ」なんだな~と。

物語の中では、大庭十萬里が依頼者のお宅を訪ねて、ひととおり家の中を観察した後の会話場面があります。

「判定結果は、軽症、中程度、重症の三段階評価ですが、お宅の場合は重症です」
「重症、ですか」
「そんな顔をなさらないでください。私に依頼する方のほとんどが重症です・・・」
「今日一日で片づけてもらうわけにはいかないの?」
「私は片づけに来たのではないんです。片づける方法をお教えするのが私の仕事です」
文中からの抜粋

 

断捨離
私は、もう使わなくなったモノやいらなくなったモノを捨てて身の回りを整理していくことだと思っていましたが・・・。
実はもっと深い意味があったんですね。

モノへの執着を捨てモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏などを得ようとする考え方のこと。
知恵蔵miniより

”執着を捨てる”?

私は退職した時に不用なモノを大量に捨てたことがありました。重量にして400kg!
これでスッキリしたな~なんて自己満足に浸っていましたが、全く分かっていなかったんですね。
その時は捨てたからといっても、よく見ればまだまだ不用なモノは残っていました(笑)

これはまだ使えそう、これは思い出の品、これは今は必要でないけど使える時がくるかも、これは高価だったからもったいない、これはまだ数回しか着ていないからとっておこう・・・。
な~んて思いながら一つ一つのモノを手に取ってみたら、何も捨てることが出来なかった!
つまり ”執着” があるため捨てられずモノは貯まりつづけていくんですね。

 

物語の中で、主人公の大庭十萬里から依頼者に対して事前のチェックシートがあります。

次の設問に〇か✕でお答えください。

第一問 洋服はきちんと畳む。
第二問 床が見えない部屋がある。
第三問 パンにカビが生えることがよくある。
第四問 お茶を床にこぼしても拭かない。
第五問 新聞が捨てられない。
第六問 昔の年賀状が捨てられない。
第七問 よく物を探す。
第八問 衝動買いしたあと、買ったこと自体を忘れてしまうことがある。
第九問 他人を家に呼べない。
第十問 窓が開けられない。

小説に書かれてあるとはいえ、ちょっと真剣に私もチェックしてみました。
う~ん、これはないな!、いや待てよやっぱりあるかな~・・・。
「昔の年賀状が捨てられない」う~ん捨てられないんだよね~。

たった十の問いに対してもちょっと考えてしまいます。大丈夫かな~。

 

収納庫や収納設備が広かったり、たくさんあると整頓がしやすくなったりします。
例えば、台所や寝室、クローゼットなどの収納の広さです。
最新のモデルハウスや豪華なマンションなどでも、そうした収納設備を売りにしているところもあり羨ましく思ったりします。
大家族や子どもがまだ小さい家庭では、それなりに必要な設備だと思いますが・・・。

収納設備が充実していれば、いつも居間や台所、客間や寝室などスッキリしていて見た目感じがいいです。
問いの二問、九問、十問は完璧だね!と。

「このお宅は、さほど物がたくさんあるという感じはしないんですよ」
「はい、きちんと整理しとりますからね」
「そういう意味ではありません。これまで私が東京のマンションばかりを見てきたせいでしょう。この家は広くて収納場所がたくさんあるから、物が溢れているという感じがしないだけです。本当は不用なものがたくさん詰め込まれた家です」
「そんな言い方って・・・」
文中からの抜粋

なるほど、こういうケースもあるんですね。
そしてこの時の評価は、「お宅は重症です」と。

又、物語の中でこんな場面がありました。
上記の広い家の家主(一人暮らしの70代女性)が、ご近所の人(間宮さん)が入居している老人施設を訪れた時の会話です。

「間宮さん、なんだかきれいになられたんやないですか」
「こがん婆さんばおだててもなあんも出んと」
「なんや若がえられたみたいですやん。お肌も艶々やし、それに生き生きしとられる」
お世辞ではなかった。私より十歳も年上の米寿にはとても思えない。
・・・

「毎日、体操しとるからかもしれん、そいに、書道と大正琴ば始めたばい」
・・・
「あのう・・・、不躾なことを伺いますけど」
「なに? 何でも聞いてちょうだい」
「いま売りだしておられる家には家財道具は残してあるんですか?」
「まさか。ひとつも残らんごと処分したと。こん部屋にあるとが私の全財産ばい」
・・・
「・・思い出の品もあったやろうに」
「そりゃいっぱいあったと。捨てがたいと思ったもんは写真に撮っておいた。ときどき見るけん寂しいことなか・・・」

間宮さんがお茶を淹れてくれている間、失礼を承知で部屋の中を隅から隅まで見回した。
1Kの部屋に、収納といえる物は一間のクローゼットだけで、ベットと小さなテーブルセット以外に家具らしいものはない。食堂が完備されているから、ミニキッチンにある作りつけの食器棚はとても小さい。
文中からの抜粋

この場面を読んだ時、母と義父のことが重なりました。
部屋の様子、体操、肌の艶、清潔な服装、習い事・・・、そして元気な笑顔。
ここに書かれてある間宮さんの様子と話しが、まさに母と義父の生活と一致していたことです。

冒頭の母と義父の生活は、1%以下のモノでも十分なんだということを改めて感じる場面でした。

 

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いつ何時なにが起きるか分からない!
そのために、「必要と思われる?モノをとっておこう」と思う気持ちは誰にでもあると思います。
このあたりの判断は、意外に難しいです。

老後の安心のために残すべきは、物ではなくてお金ではないですか? 例えば、気に入らない洋服を残しておくより、洋服を買う楽しさを残しておいた方がいいとは思いませんか」
文中の大庭十萬里の言葉

この本を読んで一番印象に残る言葉でした。ハッとさせられるものがありました。

寒くなる季節になると、上着やコート、ダウンジャケット、セーターなどを着る機会が増えます。
働いていた頃によく着た質のいい上着やコートがありますが、退職後にそうした服を一度も着ることはありませんでした。
生地が上質な物であっても、仕立てやデザインがちょっと流行遅れ?、重たい?・・・なんでしょうか。
今流行りのカッコよさやオシャレなデザイン、軽量生地の方が気軽に着れるし、よそ行きにも支障ないな~と思いユニクロで買ったりします。
着る機会があるかもしれない?と思っていても、結局タンスの肥やしになっている服が大量にあるんですね。

老後の安心のために残すべきは、もちろん ”お金” ですが、モノがたくさんあったとしても、それは生活や心を満たすものではないと思います。
「今まで着ていた服があるから買うのを我慢しよう」と思う気持ちは大事ですが、そればかりだとどうしても満たされるものがありません。

私たちの世代こそ ”洋服を買う楽しさ” を残しておいたほうがいいと思いました。
〇〇をする楽しさ、〇〇を見る楽しさ、〇〇に出かける楽しさ、〇〇を買う楽しさ・・・。

 

読み終わった後、カミサンもこの本を読みました。

冗談で、「来週、大庭十萬里さんが来るから片付けしようか」と。少しづつ着手し始めました(笑)
60歳からの現実がここにもありました。

4 thoughts on “60歳からの現実(リアル) (28)

  1. すーさん、今晩は~今年になって初めてだと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。

    とてもタイムリーな話題なので思わず書き込みさせていただきました。

    夫の母が1月初めに老衰で亡くなりました。スーさんの母上様と同様5年前から
    認知症で地元付近のグループホームに入っていましたが、昨年、低体温、低血糖、低血圧にな
    り、近くに住む妹(夫の妹)が病院に緊急搬送しました。延命措置はしないが点滴はしてもらう
    ということで一か月間命がのびました。

    今、まさにこの夫の実家問題が持ち上がりました。田舎なので48坪の家プラス物置です。
    いやはや物があふれかえっています。都会に住む孫娘が都会の家は狭いので次から次へといろい
    ろ送ってくるのでごみ屋敷です。

    生前の義母はきちんと整理整頓はできていましたが、捨てることができないのでやはり
    物が多いです。残された者にとってはほとんどが「ゴミ」とは確かに言えますね。
    家を解体するのは業者に依頼するしかありませんが、家の中のものを運び出すという
    作業を義妹がためらっています。

    長くなりますが、私の実家は姉が44歳、私が42歳の時に処分しました。
    25年以上も前でしたので、二人とも体力も気力もありました。粗大ごみも
    無料で出せましたし、和服が大好きだった母のものは近所でお世話になった方たちに
    持って行ってもらいました。片付け上手な姉の学校の休みを利用して約一年かかって処分しまし
    た。
    寂しさはもちろんありましたが、確かにすっきりもしました。
    長くなりますので、また次回に書き込みさせてください。

    私もすっきり断捨離に今年はチャレンジする予定です。良いお話をありがとうございました。

    1. Roseさん

      今年もどうぞよろしくお願いいたします。

      私たちの世代になるとやはり同じようなことがどの家庭でも起きるものですね。
      親の介護、施設入居手配、実家の後片付け・・・。
      まだ若い頃だったら、Roseさんが言われるように「体力も気力」もあり片づけが進むのでしょうが、この歳になってくるとなかなかはかどりませんね。笑

      又、結婚して都内に住む娘の荷物は、まだ自宅の部屋に一部置かれています。
      勝手に捨てるわけにもいかず、娘に聞いてみたところ「捨てていいよ~」との返事。
      とはいっても、親にとって娘の思い出の品もあり、なかなか踏み切ることができません。

      一昨日、家内が古い年賀状を整理してゴミに出しました。
      この小説を読んだことがキッカケです。

      >寂しさはもちろんありましたが、確かにすっきりしました。

      同感です。年賀状に限らず不用な物は処分したほうがいいですね。

      Roseさんと同じように、今年は断捨離にチャレンジしたいと思います。
      またコメントください。

  2. すーさん、あらちゃんです。
    先日の初めての投稿では、お名前を間違えてすみません。
    私の母も4年前、大動脈解離~認知症発症という流れで、一人暮らしができず
    グループホームへ入居させることになりました。
    引っ越しの荷物は、ミニバンに乗る程度でした。

    実家の方は、10年前にリハウスしていましたが、一軒まるごと空き家になる
    事態になりました。
    今も、年3回、掃除とメンテナンスで実家へ帰る日々です。
    母は、すーさんと同じく戻ることはできないので、整理を始めましたが、ほとんどが
    不要なものの山という感じです。
    最終的には、実家の売却になる予定ですが、リハウスの時、かなりのものを
    捨てた割には、やはり、色々残っているのもですね。

    実は、実家のリハウスの時、バタバタして、写真のアルバムや記念品なども
    廃却してしまい、父親の写真も1枚しか残っていないことがわかりました。
    でも、今となれば、子供(孫)から見れば、会ったこともないおじいさんの
    写真など不要ですね。

    人生のスピードに合わせて、少しづつ整理してゆくことが大切なようですね。
    お話を読んで、参考になりました。

    1. あらちゃんさん

      コメントありがとうございます。

      私たちの年代になると親の介護に関わる機会が増えてきますよね。
      あらちゃんや私のように経験された方も多いのではないでしょうか。

      私たちの親の世代は、大正~昭和初期に生まれ戦争を経験された人たちです。
      今よく話題になっている「終活」「断捨離」「墓じまい」・・・、こうしたことを特に考えることはなかったと思います。
      戦後生まれの私たちは、そうした親をみて ”自分たちはどうしていったらいいのか” ということを考えていくことが大事なことのように思います。

      >人生のスピードに合わせて、少しづつ整理してゆくことが大切のようですね。

      全く同感です。
      親をみてそうしたことを教えられたような気がします。

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