書籍「新聞記者」

ジャーナリズムの役割

 

私がこのブログを立ち上げてから ”メディアの報道” に関してのコメントを何度か記述してきました。
それは、新聞をはじめとするTV報道番組や週刊誌などの記事に対する疑問についてでした。
本来こうしたメディアの報道は事実を伝えることに留まらず、そのことが国民や読者にとって有益なことなのかを判断し、その方向性を示す役割があると思っています。

しかし、現実は ”話題性” だけに執着し、その時だけの報道に留まり深堀しない風潮があるように思えます。
又、ここ最近の政治問題で話題になった ”忖度” においても、同じようにメディアの世界でも権力や経済界に対して忖度している記事・報道も目につきます。

つまり、本来 ”何が真実なのか” が置き去りにされ、その周辺で起きた出来事だけが報道されるだけで核心に至っていないということがあるように思います。
そうした記事が意図的(忖度して)に報道されているのか?、あるいは新聞の販売数やテレビの視聴率を上げるために話題性だけを重視しているのか?・・・、その点は分かりませんが、本来あるべきジャーナリズムの役割に照らし合わせれば疑問符がつく記事が多いと感じています。

そんな中、東京新聞社会部記者の望月衣塑子(もちづきいそこ)さんのことを知る機会がありました。
それは、不定期に参加している政治経済セミナーの中でのことでした。

望月記者は、2017年10月に出版された「新聞記者」の著者であり、そして最近封切になった映画「新聞記者」のモデルになった方です。

 

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著書の中で望月さんは、このように述べています。

今の段階では、森友、加計問題をはじめ、政権や官邸に対する疑問が払しょくされたとは思えない。だれも聞かないのなら、私が聞くしかないとも思っている。
社会派を気取っているわけでも、自分が置かれた状況に舞い上がっているわけでもない。
おかしいと思えば、納得できるまで何があろうとととことん食い下がる。新聞記者として、警察や権力者が隠したいと思うことを明るみに出すことをテーマとしてきた。そのためには情熱をもって何度も何度も質問をぶつける。
そんな当たり前のことをしたいと思う。
著書「新聞記者」から抜粋

あのモリカケ問題が発覚した時、官邸会見で菅官房長官に質問をし続け、何度も鋭く切り込む姿勢があったそうです。
記者なら当然だろうと思うかもしれませんが、今の官邸会見の実態はそうではないということもあるようです。
事前に各社から質問状が提出され、それに対する回答書が官僚によって作成され、形としての会見の場で菅官房長官が応える(回答書の棒読み?)ようです。
もちろんすべての質問と返答がそうではないと思いますが、肝心なことは形式だけの出来レースに終わっていると。
テレビ放映でもこの会見の模様が映し出されますが、一言で言えば ”暖簾に腕押し” といった感じで、同じ返答が繰り返されるばかりです。
これでは、”何が真実なのか” ”実際に何が起きたか、起きているのか” が国民にとって全く分からないまま進んでしまう恐れがあるのではないでしょうか。

結果、こうしたメディアの政権に対する忖度が、新聞やテレビ報道にも影響して、核心を突くような記事が書かれない・放映されないことにもつながっていくように思われます。

又、著書の中でこのようなことが書かれていました。

安保法案が審議されていたとき、メディアはその法案について、どこがよくてどこが悪い、と本来きっちり言うべきなのに、立ち上がったSEALDs(シールズ)の奥田愛基(おくだあき)さんたちを大きく報道した。今時の若者らしくシンボリックだと祭りあげる一方で、彼らが非難を浴びたときに守るわけでもない。臆病なメディアが他人を使って報道している面もある。表だって責任を取りたくないのだ。

これを読んだ時、確かにそうした面もあったのだと思うところがありました。
シールズによって若者の力がすごいものだと感じた一方、安保法案の恐ろしさやその狙いについては追及されなかったという点で疑問の残る記事・報道が目立ったと思いました。
つまり、話題性が重視され、肝心の法案の内容について鋭く切り込むことなく終わってしまった感があります。

又、最近の金融庁の「資産形成・管理」の報告書にあった老後の年金問題(2千万円の貯蓄)の報道についてもしかりです。
この問題については、先月のブログでもアップしましたが、各新聞社やテレビ報道番組でも大きく取り上げ参議院選挙の争点にもなっています。
ここで注目したいのは、”現政府による税収入のあり方と使い方” が何ら問題視されていない記事・報道です。
現状の問題を指摘するだけで、どうあるべきか、どこに根本的な問題があるのか、という論議と報道になっていないことです。
※ブログ「税収入のあり方と使い方」

 

この他にも以前ブログにアップした毎日新聞の「沖縄基地問題」もそうでした。
昨年10月、辺野古新基地建設にあたっての毎日新聞の報道で、

問題の核心は、基地負担が沖縄に集中するというその極端な不均衡にある。
(10/2付「主張」)

国民が広く基地負担を自覚することで、国の安全保障を自らの問題として担う覚悟を持ってもらうよい契機ともなろう。
(10/13付「記者の目」)

これらの記事は、「基地負担のあり方」に問題の本質があるように主張しています。
はたしてそうでしょうか?
「国民が広く基地負担を自覚する」ことではなく、”基地そのもののあり方を考える契機” にすることが大事なことではないでしょうか。

この件については、実際に記事を書いた編集委員の上野央絵さんに質問しました。
基地負担を右から左に持っていったからといって問題の解決になるのですか?
沖縄県民はじめ国民の願いは「戦争しない国づくり」ではないのでしょうか?
国民や読者の立場に立ってペンで主張し、そうした願いを支援・後押ししていくことが本来のジャーナリズムの役割ではないでしょうか?

国民・読者の気持ちや願いを代弁しないこうした記事・報道は、時として誤った方向に導くものがあると思います。

これらのことはほんの一例です。
「新聞記事に書いてあった」「テレビで放映されていた」だけでそれらの事項をそのまま鵜呑みにしてしまうと、その本質が見えなくなる場合もあるのではないでしょうか。

だからこそ、マスメディアは利害に関係なく、忖度することなく国民や読者の代弁者として真実を追求してもらいたいと願うばかりです。
そんな一面を持った望月さんの著書「新聞記者」の中に ”空気を読まない” という一節がありました。

 

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空気を読む、読まない?

 

その場の雰囲気で言っていいものなのか、よくないものなのか、という場面に遭遇することがあります。
長年会社などの組織で働いてきた人にとっては、多分経験してきたことではないでしょうか。

「お前な~、何であんなこと会議で言ったんだよ。空気読めよ!」
「いや~、やっぱり言っておいた方がいいと思ったからなんで」
「余計なことだよ!また仕事増えちゃったじゃんか!」

よくある例のひとつですが、その場の雰囲気から状況を推察してどうすべきか判断する時に使われます。

著書「新聞記者」の中で官邸会見の様子が描かれていました。
菅官房長官にこれ以上質問していいものかどうか、これ以上突っ込んだら怒らせてしまうのではないか・・・、そうした空気を読んで質問は控えているという雰囲気が漂っている・・・。
望月さんは、そうした雰囲気が分かっていても納得いくまで質問をし続け、”私はあえて空気を読まない” と断言していました。

このような場面というのは、私たちの身の回りでもたくさんあります。
前述した会社組織の中や自治会の会合、何かの勉強会やセミナーなど。
例えば、こうした場で自分が思ってもみない方向に行きかけている。質問したいけれど何か質問を受け付けないような強い圧力のようなものを感じる。誰も意見しないから自分も言い出せない・・・。

この ”空気を読む” について、以前ブログで記したことがありました。「TVニュース番組」
それは2016年3月、報道番組ニュースステーションのメインキャスターを務めた古舘伊知郎さんの降板あいさつの中で言われた言葉です。

「空気を読むから一方向にどうしても読んで流されてしまう雰囲気に対して、水を差すという言動が必要」

時として、”水を差す” という言動が必要な場合もあると思います。
その結果、自分だけでなく周りの人たちもそれに乗じて活発な意見、質問が出やすくなる時があります。

黙っていたら、それは肯定とみなされ一方向に進んでいってしまう恐れがあるのではないでしょうか。
モリカケ問題はどうなったんだろうか、憲法改正(改悪)問題、そして、私たちの生活に直接関わりある年金、医療、介護、子育てなどの社会保障問題・・・。

この「新聞記者」は、そんな思いを再考する本でもありました。

2 thoughts on “書籍「新聞記者」

  1. 少しわかりにくいような気がします。
    でもそういう方が気持ちが伝わるのかもしれませんが。

    >沖縄県民はじめ国民の願いは「戦争する国づくり」ではないのではないでしょうか?

                  「戦争しない国づくり」ではないのでしょうか?

    1. 槌が﨑さん

      文章の書き方について分かりにくい点がありました。
      ご指摘の点、修正しました。
      ありがとうございました。

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